観念世界
「君は、何故そんな姿でここに寝ているの?」


 本当に聞きたいことかは判らないが彼女に言われて口をついて出たのはこのことだった。


 彼女はその問いを聞くと、ゆっくりと目を閉じた。まるで僕の言葉を体中でくゆらせるように。

 そして、静かに目を開け、深い吐息を吐くように、柔らかく言葉を紡ぐ。

「ここに、こうしているのがあたしだから。ここが絶対にここで、ここにこうしているのが絶対あたしだから、だからなの」

 彼女はそう言って、目を閉じた。赤い睫が白い瞼を縁取る。

「だから私は目を閉じるわ」

「君が君であるために」

「違うわ。ここにいる私は今、目を閉じるから、閉じるの」

 僕は軽く笑う。このちんぷんかんぷんな世界で、初めて会った少女と数分話をしただけで今の台詞を「彼女らしい」と納得してしまったことに。

 そして、帰りたいと思った。帰らなくてはいけない、ではなく、帰りたいと。窮屈でも居たたまれなくても、僕がいつも何の疑問も持たず僕で在れる場所に。

「僕も帰るよ…僕であるところに」

「帰るの?そう。ドアはそっちよ」

 指差された方を見ると、ドアが見える。白い壁に白いドア。銀色のノブ。壁と壁のつなぎ目、くもり。

 先程が嘘のように、僕の網膜はこの部屋をごく当たり前の空間としてありありと捉える。光を失った電球を見るように、暗闇に目が慣れるように、魔法がとけるように。

「ありがとう」僕は短く挨拶をした。そして「また、会えるかなぁ」と彼女に聞いた。

「判らないわ。だってあなた、ちんぷんかんぷんだし、触れられないもの」

 彼女はそう言って顔を向けた。開かれた彼女の真紅の瞳に僕が映る。

「でもあたしの事を判ろうとしてくれたから、知り合いになればまた会えるかもしれない。けど、でもきっともう会わないでしょうね」

「そうか」彼女の視線が逸れ、天井に向かって静かに目を閉じるのを見守っててから、僕はゆっくりとドアに向かって歩いた。ドアノブに手をかけ、もう一度彼女のほうを見る。

「じゃあ、さよなら」

「ええ、さようなら」


 彼女は目を閉じたまま返事をした。ぼくはそのままドアを開き、僕の日常に踏み出した。


《おわり》
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