口笛
「そりゃそうだよな」

 そんな、会話を交わしながら、僕らは酒を酌み交わした。確かに、沢井真夏は、僕の初恋の相手だった。そして、小学校以来会っていないことも本当だった。だが、沢井真夏に関して言えば、和也に話していないこともあった。

 僕たちは、軽い食事も済ませ、「次はまた、三年後な」なんてアバウトな約束を交わし、十時過ぎに、赤坂見附の交差点で別れた。

 事務所に戻ると、秘書の中山がまだ残っていた。

「あら。中山さん、まだ残ってたの?」

「先生、すぐに戻るっておっしゃいましたから」

 彼女は少し怒っているようだったが、僕は、頭でも掻くしか無かった。

「資料のチェック、どうなさいますか?」

「あぁ、ちょっとひと休みしてから見ておくよ。そこにおいといて」

「ソファで寝たら風邪引きますから、ちゃんとご自宅にお帰りになってくださいね。あと、チェックはちゃんとアルコール抜けてからにして下さい。じゃぁ、今日はこれで失礼します」

 最後は、呆れたのか、少し優しい口調になっていた。彼女は、サッと荷物を片づけ、帰宅の途についた。僕は、遅くなった日は、自宅に帰らず、事務所の喫煙スペースにあるソファで休むクセがあった。そしてその日は、ほぼ間違いなく、事務所にお泊まりするコースだった。

 僕は、赤坂の新しいタワービルに居を移したばかりの中堅法律事務所で、もう十六年働いている。都内の国立大学の法学部を卒業して四年目のとき、この法律事務所にお世話になりながら、ようやく司法試験に合格し、司法修習を経て、そのままここで働いている。

 事務所の片隅に追いやられている、一畳半程の小さな喫煙スペースでタバコを吹かしながら、ライトアップされた東京タワーを眺め、大きく息を吐いた。

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