黄昏色に、さようなら。
声だけを聞いていた時、きっと優しい人なんだろうと思っていた原口博士は、想像通りの人だった。
原口龍太郎。三十八歳。
勤務医ではなく、研究をするのがお仕事の、医学博士だそう。
それで純ちゃんが、『先生』ではなく『博士』と呼んでいたのだ。
ちなみに、私が今いる場所も、病院ではなく研究施設なのだとか。
原口博士は、ひょろりと背が高くて、細身のキリンを思わせる穏やかな風貌の持ち主で、
理知的で落ち着いた大人の雰囲気と、少年めいたメガネの奥の黒い瞳が印象的な、とても素敵な人だった。
どこかの、本能丸出しの狼くんとは、雲泥の差だ。
その狼くんも、キリン博士には頭が上がらないのか、
「じゃ加瀬君、風花ちゃんを、ベッドに寝かせてあげてくれるかな」
と、ニッコリ笑顔で博士に指示されても、文句を言うでもなく、素直に「はい」と真面目くさった顔で答えると、私をベッドに横たえた。
「……やはり、四肢の運動能力の回復には、リハビリに時間がかかりそうかな?」
手足にうまく力が入らないのを見て取ったのか、博士が思案気にそう言うと、なぜか純ちゃんが「はい、特に右手足が弱いですね」と、又も真面目くさった表情で答える。
右手足が弱い?
どうして純ちゃんが、そんなことを知っているの?
浮かんできたのは、さっきのセクハラ行動。
もしかして、あれで、気付いたのだろうか?
でも私自身は、ただ手がうまく上がらないだけしか感じなかったけど?
チラリと、博士の傍らに歩み寄る純ちゃんへと首を動かして視線を走らせると、やはり至極真面目な表情を浮かべている。
さっきまでのセクハラ大魔王と、今の純ちゃんの、あまりのギャップの大きさに戸惑っていると、博士から声がかった。
「風花ちゃん、三十秒ほどですむから、体を楽にしてそのままでいて下さい」
「は、はい!」
視線を戻して、横たわったまま少し緊張気味で頷くと、博士はベッドヘッドに備え付けられた小型のキーボード状の端末を、軽やかに操作した。