ラブトラップ
9.
があぁん。

健二があんなに足が速いなんて知らなかったわ、と、心の中で嘯いてみても始まらない。

この、観客の居ない秋の夕日色に染まったステージに残るのは、私と――そして、稲葉美虎のただ二人。

私は、罠どころか一つの武器も持たずに虎に直面している、哀れな草食動物の心持ちになって、そわそわと美虎に視線を投げた。

相変わらず、皮肉を閉じ込めたような意地悪な瞳が私を見つめている。


少しひんやりとした秋風が、二人の頬を柔らかく撫でていく。
私の中の心臓音だけが、これでもかというくらいにその存在を主張していた。



私は――
どうしたらいいのか、分からなくて、もう。

指先一本だって動かせはしない。
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