失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】

癒えない傷




そして僕の妄想は

現実化した



切っ掛けは性的な暴行事件の報道や

盗撮や脅迫事件…売春…監禁

それら新聞の記事

テレビの番組…ニュース

雑誌の広告や週刊誌の見出し

インターネット

映画のワンシーンに至るまで

様々だった



兄はそれらを目にするたびに

血の気が引き顔色が蒼白になり

意識をなくす…なくしそうになる

もしくは吐いてしまう

震えて冷や汗が止まらなくなり

錯乱する



兄の恐怖に満ちた顔が

僕の目に焼き付く

世の中にあふれている

暴力的な性のメッセージの多さを

僕は改めて認識した

多い…多過ぎる…

みんな…これ…見たい…の?

だからたくさん有るの?

こんなに…避けられないほどに




性に限らず暴力的な事件や

ドラマのストーリーにも

兄は反応するようになっていった




いずれ家族に知られる

今はギリギリでごまかしてるけど

母は多分勘づいているはず

兄は両親の居るところを避け

部屋で専攻の研究書を読み

世間の情報から

自分を隔絶しようとした

新聞を見ない…たとえ見出しでも

新聞自体を目にしないように

テレビもネットも開かず

なるべく外出しないようにした

出かける時は必ず僕を連れて行った

僕に介抱してもらう為に



兄の心が休まる場所は自分の部屋

以外何処にもなかった

アルバイトも最低限になった

兄の借りているアパートは

どうするんだろうか…と

ふと僕は思った

両親の目につかないように

しばらくあそこにいてもいい

…でも…あの部屋は

兄の忌まわしい記憶の温床…

兄は帰れないんだろう

話すことすら兄はしない

あの部屋のことを



僕は一度も行ったことのない

その部屋のことを少し思った







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