六天楼の宝珠〜亘娥編〜
 言って青年の横を通り過ぎる。

 墓に供えられた花を見て、彼を振り返りもせずに言った。

「父は亡くなる直前まで貴方を信じていたわ。会いに来てくれて喜んでいるかもしれない……」

 墓標の前にかがみこんで、持っていた花を花台に挿した。黒い石肌を見つめる表情は硬い。

「翠玉──僕は本当は、あの時」

 尚も言葉を続けようとしていた朔行は、隣にいる碩有の眼差しに気づいて口を噤んだ。

 軽く会釈をして、踵を返し足早に去って行く。

 後には静寂だけが残された。翠玉は何も言わず、黙ってそこに佇んでいる。

 碩有が供物台に持っていたものを置くと、小さく礼を言う声が返って来た。

「……今の者は」

「幼馴染なの。父が亡くなった後は家同士が疎遠になったけど……昔はよく一緒に遊んだわ」

 「ただそれだけよ」と憂いを帯びた笑顔で、彼岸の家族に向けての言葉が後に続いた。

「長らく来れなくて、ごめんなさい──」

 かつて見た事もない儚げな表情で語りかける妻の横顔に、碩有の眼差しが悔しげに歪んだことなど──この時翠玉は全く気づかなかった。
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