ありのまま、愛すること。
彼らと接するときに思うのは、すべてを受け入れてあげたい。

いいところも悪いところも、すべてを受け入れるのが親だと。

そのかわり、しっかり向き合う覚悟もないといけない。

たとえば、幼いころから何か人のものを盗んで生きてきた子は、いくら注意しても盗む。

孤児院の庭に果物ができれば、彼らの発想では、早く取らなければ誰かに取られてしまうというもの。夜に忍び込んででも取ってきてしまうんです。

でも、誰も取らないから大丈夫だよ、みんなでいっしょに食べなければダメだよということを、教えてあげなきゃいけないんです。

そのようなことも含めて、私は彼らの存在を愛おしく思う。

そして、その、すべてを受け入れるというモチーフはやはり、母の私に対する愛情が原体験なのだと思います。

「この子は将来、大泥棒になる」と小学校の担任に言われたとき、「美樹さんのよさがわからないのね」と憤慨している母親の姿が、幼い私にどれだけ励みになったか─。

ときに自分のために本気で怒ってくれた。

やはり、宇宙のなかで最大の味方なんです。

それが親なのだと思うし、私はそういう存在でありたい。

自分の息子たちにはもちろんのこと、カンボジアの81人の子どもたちにしてもそう。

なにか悪いことをしても、私は絶対に見捨てないし、すべて受け入れてあげたいと思っています。

だからこそいつも、私はこう呼びかけます。



人間の良心に照らし合わせて正しいことを決して疑うな。

人を愛する心、思いやりの心、正直な心、礼儀正しく年上の人を敬う心、自分以外の人を幸福にしようとする心、そんな人間の良心に照らし合わせて正しいことを決して疑うな。

疑うということは自分自身を卑下することになる。否定することになる。

心に良心という旗を掲げよ。

そして、人として間違わぬ、主人公として人生を生きよ。


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