ありのまま、愛すること。
母・美智子は横浜市の交通局長を務めていた父親と母親のあいだの二女として、1934年3月13日、生まれています。

きょうだいは、上に長男、長女、下に弟がいました。いまも健在なのは、長女だけです。

父親という人は交通局長を務めるほどでしたから、家はたいへん羽振りがよかったのでしょう。

チエ子さんが遊びに行ったときのこと、家には当時、まだ家庭用に普及し出して間もないミシンがあり、二人して触っていると、母の姉がこんなふうに言ったそうです。

「ちーちゃん、なんてお上手にできること。それに比べて、美智子なんてぜんぜんダメなのよ」

歌がうまかった母は、性格的には活発で快活、人前でも物おじしなかったようです。

先述の通り、近所のお盆祭りなどでののど自慢にも、子どもの部で出場して拍手喝采を浴びていた。

正月に家に集まれば─正月2日はチエ子さんが母たちの家に泊まりに来て、翌3日は逆に母がチエ子さんの家に泊まりに行くという流れがつづいたようです─百人一首や双六、羽つき……なんでも子どもたちのなかでいちばんできたのが、母だったようです。

大人になってから、チエ子さんと箱根、三ツ峠……山々に登っても、行き交う登山客の誰にでも声をかけ、その人たちともまた輪になっていく、その中心にいるような人だったとチエ子さんは言います。
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