ありのまま、愛すること。
キリスト教団にいた3年間で、母と会えなかった私ですが、母はずっと傍にいてくれている気がしていました。

いまは毎朝晩に必ず、仏間に入って母親と会話しています。

私が特定の宗教に身を委ねている、いないにかかわらず、母は私の傍にいてくれるのです。あれだけ愛してくれた母親だから、あれだけ愛してくれた祖母だから、父親だから、祖母だから、いまも私を守ってくれているでしょう。

いま、私の家の仏壇には3人の写真があり、3人と話すことにしています。優先順位は母親からですが。


さて、中学で教団から離れたことにより、私の目的は、会社の社長になって父親の仇を討つという方向に本格的に向かっていくことになりました。

そのために高校─大学と進学を志すことになり、聖書とは離れた生活を送ります。

後にマザー・テレサの生き方に触れ、これはもう一度、私と聖書を結びつけるきっかけとなり、ワタミを創業する際の理念の根本にもなるのですが、そのいきさつは後段で詳述することとして、まずは学生時代のことを述懐しておきます。
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