ありのまま、愛すること。
そこで、森進一さんや明治大学のマンドリンクラブを呼んで、12000人の観客を集め、そこで得た利益の全額870万円を、めぐまれない子どもたちのために使いました。それは、主に児童養護施設「横浜訓盲院」の子どもたちへの、超音波眼鏡のプレゼントでした。

その眼鏡は、当時、ニュージーランドで開発されたものでした。

超音波の跳ね返りで距離を測ることができ、自分がどういう環境にいるのか、目の不自由な子どもにもわかるものです。

当時の金額で1台45万円でした。市も県も予算をとっていなかったこの眼鏡を、私たち横浜会のメンバー全員が、目の不自由な子どもたちが満員電車に乗れるように、目の不自由な子どもたちが電信柱にぶつからないように、何かをやってあげようという、ただその思いで、手弁当で実施したのです。

この「横浜訓盲院」で、ヘルプのボランティアをすることもあったのですが、そこで見た事実に、私は愕然とさせられました。

当時、訓盲院で生活する子どもたちの3分の1ほどは、帰る家のない子だったのです。

目が不自由で、発語も上手にできない子どもの親権を放棄する親が、それほど多く存在していました。

(では現在はどうなのかと、最近になって施設の方にたずねると、なんと4分の3ほどの子どもたちがそうであるとのことでした)

人間の心の豊かさとはなんだろうと、深く考えさせられたのです。
その施設で子どもたちから、よくお礼を言われました。

でも私はそんなとき、心のなかでこう思ったものです。

《きみは、たくさんのものを背負って生きているんだから、これくらいいいんだ、当然なんだ》

力のある人が力の弱い人を助けるのは、当たり前のこと。

何かをしてあげることのできる人が、誰かのために何かをしてあげることも、当たり前のことです。

そこに、なんのためらいがあるでしょう。

多くのものを背負っている人を、背負っていない人間が助けるのは当然で、彼らには助けてもらう権利があるのも当然なのだと、私は信じます。

ボランティアとは、ハンディキャップのある方から、人として大切なこと=思いやり、強さを学ばせてもらうことです。

その対価として、健常者は労働を提供するのです。だから、お互いの関係は、まったくの対等なのです。

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