夏の空を仰ぐ花
「何だそれ。大変な事って、例えば?」


二つ目の施錠を外しながら、補欠がクスクス笑った。


「地球が破滅する、とか?」


部活を引退した補欠は、少し色気づいた気がする。


真っ白なワイシャツから仄かに香る匂い。


今までは香水なんて使っていなかったのに、最近の補欠からは、ライトブルーの爽やかな香りがする。


「まっさかあー! それよりもっと大変な事じゃ!」


「まじ? こわっ」


「ほら、なにせ、この美貌だろ? 若い男子がほっとかんだろう。あたし、誘拐されるかもしれん」


「はあ。誘拐、な」


カシャン、と施錠を外し終えた補欠がゆっくり体を起こす。


「てか、ここ学校だけど。誘拐、ね」


そして、あたしの腕をするりと抜けだして、見つめて来た。


「誘拐か。困るなあ、それは」


本当に困った顔を、補欠はしていた。


「ごめん。これからは気を付けるから」


「……へ?」


「貸して」


補欠はあたしから鞄を取ると、自分の鞄と一緒に自転車のカゴに突っ込んで、


「じゃあ、明日からはこうしようぜ」


とあたしの頭を撫でた。


「ホームルームが終わったら、教室で待ってて。おれ、迎えに行くから」


駐輪場の隣に立つハナミズキから、カナカナの鳴き声が響いていた。


「そしたら、誘拐されないだろ?」


補欠の左手が静かに伸びて来て、ふわりとあたしの前髪を掻き上げる。


「困るからな。翠が居なくなったら困るから、おれ」


微かに微笑んだあと、補欠は静かにサドルに座った。


「帰ろうか」


「うん」


どうしてだろう。


部活を引退してから毎日一緒に居るのに、こんな放課後を待ち望んでいたのに、満たされると思っていたのに。


足りない。


もっと、もっと、補欠と過ごす時間が欲しくてたまらない。


一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど、比例して欲が増した。


24時間、365日、片時も離れずにこの背中に頬を寄せていられたらいいのに。


背中を見つめて、あたしは立ちすくんだ。
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