道摩の娘
「晴明…」

 思わず声をかけると、晴明は苦笑を返す。

「…これだから書類仕事は嫌いだよ」

 りいはなにも言えずに、眉尻を下げた。

「うん、見苦しいとこ見せちゃってごめんね?」

 力なく首を振る。晴明に気を使わせていることが情けなかった。

 晴明がその才ゆえに嫉妬と憎悪にさらされてきた、と。

 聞いてはいたが、目の当たりにしたのは初めてだ。

 りいがこれまで見てきたのは、保憲や保名など、晴明を受け入れている人間…晴明が心を許している人間でしかなかったのだ。

 疎いりいにもわかる。ここは貴族社会。あまり身分のないくせに才気走った、しかも若い晴明が快く迎えられるはずはないのだ。

 晴明の上手すぎる作り笑いが、なぜか悲しい。

 自分も、この年にしては苦労を重ねていると思う。だが、晴明とは違う。すくなくとも自分は、本音をさらけ出して生きてくることができた。そういう環境だった。

 自分はなんと能天気だったのだろう。


 気付くと、りいの手は止まっていた。じわり、と紙に墨が滲む。

 焦って手を引くが、心中の曇りは消えない。

「…水を、替えてくる」

 動揺を悟られないように、口早に呟いて、立ち上がった。
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