道摩の娘
(一体、何だったんだろう…)

 日課となっている剣の鍛練を始めてからもりいは考え続けていた。

 ほぼ無意識に身に染みついた動きを繰り返しながら、全く集中できない。

 晴明に話してみようかとも思うが、実際何も起こっていないのだ。ただ藤影が何かを感じたために、それも、それが何かすらはっきりしないのに大騒ぎするのは気が引ける。

(調べてみるにしてもなあ…)

 気もそぞろで刀を振り下ろすと、間近で「わっ!」と驚く声がした。

「も、申し訳ありませぬ!」

 咄嗟に謝り、顔をあげると…

「…なんだ、晴明か」

「なんだ、って…」

 そこには晴明が苦笑している。

「驚かせてすまぬな。どうした」

「もう夕餉だよ。大分呼んでるのに気付かないから…すごい集中力だね」

 集中力どころか上の空もいいところだったのだが、曖昧に頷いておく。


 昼のことを話そうかという考えがちらりと頭をよぎったが、それを口にする前に晴明が「そういえばさ」と切り出した。

「俺しばらく帰らないかも」

「…は?」

 思わず聞き返す。

「なんか祈祷に駆り出されちゃって。ちょっと騒ぎが起こってるらしいんだよね」

 晴明はのんびりと言う。その口ぶりからすると大したことではないのかもしれないが、やはり陰陽寮の職員は大変なのだろう。

「…そうか、よくわからんが、頑張れ」

 りいの言葉に、晴明はにっと笑ってみせた。

「ありがとう…家のこと頼んでいい?」

 やっぱり最近物騒だからね、と呟く。

「ああ、任せておけ」

 頼られて悪い気はしない。りいは力強く頷いた。


 それきり、昼の市でのことは頭の片隅に追いやられたのだった。
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