偽りの人魚姫
これは俺の知ってる曲だ。
 
とてもマイナーなロックバンドの駆け出しの曲。
 
メロディーラインがぐずぐずで。
 
歌詞が切ないのにアップテンポで前向きなとことか
 
すごく歌詞がいいのに半分も聞き取れないとこだとか
 
なのに、伝えたいことがしっかり伝わってくるとこだとか。
 
そんなとこが、俺は大好きだった。
 
俺が、シャウトに目覚めた曲。
 
よっさんも巻き込んで、すぐにマネした。
 
行かないで、行かないでって。
 
そんな歌詞。
 
アップテンポだから、原曲は明るく聞こえるんだけど
 
彼女のは、違う。
 
本当に、悲痛な叫び。
 
誰にも届かない、隣町に向かって叫ぶ姿は
 
少し霞んだ街灯と、暗闇に浮かぶクリスマスの電飾のような民家の明かりと同化して
 
あまりにも、美しかった。
 
後ろ髪が風に靡いて揺れる。
 
その拍子に、耳にはまった紫のイヤホンが姿を見せた。
 
イヤホンをしているから、俺には気付いていないんだ。
 
俺は、歌声に魅かれるように彼女に近づいてゆく。
 
彼女の、真後ろ。
 
よく見ると、すごく見たことがある。
 
いつもは、横顔を見ることがほとんどだけど
 
最近見た、後姿。
 
「モリノ。」

俺の声に全く気付かずに彼女は歌い続ける。
 
肩に手をかけようかと思ったが、寸前で止める。
 
きっと、肩を叩いたら彼女は気付くだろうけど。
 
なんとなく。
 
それじゃ駄目な気がした。
 
「モリノ!!」
 
彼女に負けないくらいに叫ぶ。
 
それでも、彼女には届かない。
 
もう一度。
 
今度はさっきよりも大きく。
 
でも、彼女には伝わらなくて。
 
どんだけ、大音量で音流してんだって。
 
今度彼女に聞いてみようかな、とか。
 
少しずれたことを考える。
 
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