マバユキクラヤミ
 木漏れ陽のベンチでボクが昨日、今日のことを全て話すと、重い沈黙の後、子犬を撫でながらアイの母が話し始めた。沈黙よりも重い溜息が混じる。
「一昨年の今ごろです。拾ってきたこの子犬を戻すように言ったら、あの子、子犬を抱いて公園でずっと泣いてました。私が呼んだら、叱られると思ったらしくて、道路に飛び出したんです。そこに車が…、」
 ボクに密やかな幸福感を感じさせてくれたアイは、この世の者ではなかった。だが、不思議なことに、それでアイに対する嫌悪が生まれた訳ではなかった。ボクの中で、既にアイは全てを超越した特別な存在だったのだ。
 アイの母は、そっとスケッチブックを開いた。
「前から、アイ…、この犬の方ですけど、公園に来ると、様子が変だったんです。だから、ひょっとしたら、と思っていたんです。見えたんですね、貴方にもアイの姿が、」
「…たぶん、お母さんにも自分の姿を見せたかったんじゃないですか。」
 そう言って顔をあげたボクの目の前に、アイが立っていた。想像どおり、ボクの中には恐怖の念は湧かなかった。むしろ、尚一層、愛おしさが増してくる。
「ありがとう、お兄ちゃん。」
アイはそう言って、ボクの頬にキスをしてくれた。アイの姿がボク以外に見えていなくてよかったと思った。
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