鼠の知恵
小さな武士
日本に戦という血腥い荒事がなくなり、民の生活にも安寧秩序と活気が根付いた江戸時代に、己と家族の為に命を賭けて強大な敵と戦う者達がいた。



茹だる様な熱気が薄れ、日中でも涼しさを感じる頃。人間は収穫した米を一カ所に集める事を彼は父から教わっていた。

父は祖父から、祖父は曾祖父からと、その教えは脈々と受け継がれている。一つの警告と共に。

『人間は欲が強い。己の所有物が余っていても、他者に分与せず他者を殺してでも守ろうとする』

彼も今まさにその警告を体現する敵を目の当たりにして、命の危機を感じ取り身を縮こませていた。

「カシラ……こんなのにどうやって勝てっていうんですか……」

カシラと呼ばれた彼の後ろで群れを成す内の一人…否、一匹が口にした泣き言に同意し、仲間達に諦めの空気が広がる。

「臆するな!必ず突破口はある!!ここで引き下がれば飢えて死ぬ子が増えるだけだ!」

カシラは敵に向かって一歩踏み出し、己自身と仲間を奮い立たせる為に声を荒げた。



紹介が遅れたが、カシラも彼の後に続く仲間達も、鼻先から尻尾の先までの長さが五寸にも満たない鼠である。

目指す穀物庫を目前にして壁の穴を塞ぐイガ栗は、彼らにとって難攻不落の砦に等しい。

だが、これを突破して米を得なければ彼らの子供は極寒の冬を生き残れない事をカシラは身に染みてわかっていた。彼の兄弟も三匹、蓄えた食糧が少なかったせいで前年の冬を越せずに死んでしまった。

自分の子にも…仲間達の子にも、そんなひもじい思いをさせたくない。カシラがイガ栗を前に退かない理由は一つだった。

カシラはその小さな脳を最大限に活用してイガ栗への対抗策を練った。

イガ栗の先端は鼻先に触れるだけでも痛く、その大きさもカシラの身の丈を越えている。おそらくは重量もだろう。

打ち勝つに必要なのは、イガ栗から身を守る盾だ。

盾になりうる物は……

「おい、一旦戻るぞ」

「カシラ。やっぱり逃げるんですか?」

「馬鹿!『一旦戻る』んだ。この場所に来る途中で鶏の巣があったろ。あそこから失敬したい物がある」

この策ならば必ずイガ栗に勝てるという確信がカシラにはあった。


< 1 / 2 >

この作品をシェア

pagetop