イマージョン
「ちょっと待ってよ!」
私の腕を強引に掴む。咄嗟に
「ちょっ、さわんないでよ!」
と言ってしまった。
「何でケータイ無視すんの?」
「…優介くんから聞いたでしょ?それだけだから」
「何で自分で言わないんだよ」
「…とにかく!別れたいの!」
すると義則は急に座り込んでダダをこねる子供の様に足をバタバタさせて、嫌だ嫌だ!と言っている。本当に子供みたい。気持ちが悪い。早くこの場を、やり過ごしたい。何か良い方法は…。
「…たから」
「え?」
「だから、他に好きな人が出来たから!」
勿論、好きな人など居ない。好きな人が居れば、もう絶対に義則に気持ちが無い事が伝わるだろうと咄嗟に考え倦ねいた言葉だ。私の言葉に義則は急に大人しくなった。効いたのか?彼が、その場に座り込んでいるのを確認して私は家に入った。
2階の自分の部屋に上がりカーテンを少し開けて、外の様子を伺う。義則は、まだその場に座り込んで俯いている。私は携帯を見る。昨日眠っている間に11件義則からの着信が有り、恐くなった。留守電にもメッセージが入っている。でも私は聞かなかった。義則の言いたい事は大体分かるし、鼓膜を直にして義則の声など聞きたくも無かったから消した。窓際に付けて有るベッドの上で、義則が上を見上げないかひっそりと見守る。万が一目が合ってしまったら義則が私に期待してしまう。しかし私が外の様子を伺っている理由は、早くその場を立ち去ってくれないかと願っているから。時間は正確に計っていなかったから良く分からないが、私が窓際に突っ伏して体制が崩れかけていたら、MR-2独特のエンジン音が聞こえた。私は、はっとして姿勢を正して見守る。義則は去っていった。義則は居なくなった。義則は私の中から居なくなった。これでサヨウナラだ。おしまい。ここまで来るのに、とても長く感じた。私はベッドに身を任せると眞奈に、お礼のメールを送った。優介君にも宜しくと書き添えて。そして無造作に鞄を漁り、持ち返って来た板チョコレートをパリッと頬ばった。チョコレートの甘さが私に安らぎを与えてくれる。食べ終えると、ふぅ…と深い溜め息を漏らして私は、眠りについた。
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