Fahrenheit -華氏- Ⅱ


店主の話を小首を傾げながら聞いていた瑠華は、つき出しに出してくれた小鉢を見るとちょっと目をまばたかせた。


桜の形を象った小鉢に、きれいな紫色をしたナスの揚げ浸しが入っている。


「うまそ~」
「いただきます」


それぞれに手を合わせて、箸を手にしたときだった。


ガラっ


古めかしい引き戸が開いて「へい、らっしゃい!」とまた店主が顔を上げた。


誰か客が来たのだろうと思って何気なく店主を見ると、店主はちょっとだけ表情を歪めて入り口の方を見やっていた。







「こんばんは。また来ちゃった」







聞き慣れたその声に―――俺はその場で固まった。


振り向かないでもその声の主が誰だか分かる。


「今日も旦那が仕事なのよ。急に呼び出されちゃったみたいで。夕飯作るが面倒だったのよね」


“彼女”は俺に気付いていないのか、ご機嫌に答えて


「あら」


と声を発し、俺の元へ歩み寄ってきた。ふわりと覚えのある上品な香水の香りが香ってきた。


「啓人―――。啓人じゃない?」


肩に手を置かれ、俺は苦笑いを浮かべて“彼女”を振り返った。







「久しぶりだね。紫利さん」








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