Fahrenheit -華氏- Ⅱ
「そんな顔すんなよ。
俺はお前が誰と付き合おうが反対はしねぇよ」
ぞんざいに言って緑川を軽くでこピンして
「てか俺がお前の浮気相手になってるみたいじゃねぇか。
俺の本命は柏木さんだから、安心しな。
今日も柏木さんがお前を心配してだな~…俺だってこれから色々あるってのに」
最後の方はもう愚痴だな。
裕二に厄介ごと押し付けられて迷惑していたけど、緑川に当たってもしょうがない。
俺はエントランスホールを引き戻して、洋菓子店の箱が落ちた場所まで歩いた。
そのあとをとことこ緑川が、子鴨のようについてくる。
一応、走るな、と言う言葉は頭に入れているようだ。
「あーあー…こりゃ中身はほぼ全滅だな」
落ちた箱を拾い上げると、緑川が不思議そうに首を傾ける。
「お前に……君に。
具合悪いって聞いたし、見舞いのつもりで買ってきたんだけど」
「あ…あたしに…?柏木補佐のセンスですか?」
「違う、俺が選んだ。てか二村居るんだったら迷惑か」
俺が階上を見上げると、緑川は俺の手から慌てて箱を奪った。
「め、迷惑なんかじゃありません!貰います!
あたし、ここのお店の大好きなんです」
「そっかぁ?そりゃ良かったけど、
でも食えるかどうか分かんないよ」
一応釘を刺しておくと緑川はその場でごそごそ、箱を開けた。
「大丈夫です。多少傾いてるけど食べちゃえば一緒です♪おいしそ~」
緑川の言葉に、俺は一瞬だけ瑠華を彼女に重ねた。
俺が目玉焼きを焼くのに失敗したとき
「大丈夫です、おなかの中に入れば一緒なので、気にしません」
同じようなことを言っていた瑠華。
緑川のような笑顔はないにしろ、目玉焼きを口に入れたときの瑠華の喜ぶ顔を見たら
小さな失敗なんて気にならなくなる。
女の笑顔にはそれだけの力があるのだ。