AKANE
「辛くなったときはいつでもそれで手紙を寄越して下さい。宛名と差出人は書かずに合言葉を忘れずにね。そうすれば、わたしが殿下をここから連れ出して差し上げますよ」
と、クリストフは囁くようにそう言ってウインクをした。
 そして、最期の一払いを終えて、男はルイに目配せしてゴホンと一つわざとらしい咳払いをしてみせた。
「ああ、クリストフ、終わったんですね」
 霞がかった灰の髪をふわりと揺らしながら、クリストフに歩み寄ると、懐から取り出した金貨を数枚美容師に手渡した。
「どうも」
 それを受け取ると、細身の男はにっこりともう一度朱音を見て微笑んだ。
「いつもながら、あなたの腕は素晴らしい。髪を切らせてあなたの右に出る者はそうはいないでしょう」
 可愛らしい少年は黒髪の主を夢見心地で見つめた。
 じろじろと見られることに慣れていない朱音は、ルイの手の裾をくいと引っ張ると、
「ルイ、クリストフさんを見送ってあげて」
と言った。ルイははっと正気に戻って、慌ててクリストフを部屋の外へと連れ出して行く。
 とは言っても、この少年、アザエルから一体何を言われたのか、片時も朱音の傍から離れようとはせず、美容師を見送る時でさえきっと部屋の外からは他の召使いにでも代わりを任せるつもりだろう。ほんの僅かな従者の少年の不在を狙って、朱音はさっき袖口に押し込んだ紙切れを慌てて引っ張り出して開いた。

   『白い鳩』

 紙の中身はたったそれだけだった。
朱音ははっとして窓の外を見た。窓の枠に一羽の真っ白な鳩が羽を休めてとまっている。この魔城には不似合いな程の真っ白な鳩。
 朱音は胸が高鳴るのを覚えた。
(クリストフ、一体何者だろう・・・)
  朱音の胸に一筋の希望の光が差した。

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