桜が散るその日
「わからない」
繰り返し聞いた答えに、奏は満足をしていないわけではなかった。ただ、違和感を覚えているだけ。
 確かに彼の答えは決して外れているわけではない。
 この違和感はきっと、曲に合う音色を探すのと同じ。たとえば、桜田が奏でてくれる曲に合う音色は、ヴイオリンしかないと奏が思うのと同じ。それは奏が思っているだけで、他の人が聞いた時にそれに違和感を覚えるかもしれない。その人は、ピアノしかないと思うかもしれない。
 奏が感じた違和感はそれと同じ。
 彼の「わからない」という答えは、きっと彼にとっては間違いではないのだろ。しかし、奏では違うと思った。彼の持つ答えは、きっとそんなものではない。漠然とした直感。考えの押しつけ。奏の感じている違和感は、今の彼にはそれでしかなかった。
 だから、違和感を口にするべきではない。これは奏が教えては意味がない。これも、結局直感でしかないのだけれど。
 それならば、どうして聞いてしまうのだろう。人に指摘されるまでもなく、奏は気づいている。
 どうして、言葉ばかり簡単に口から出てきてしまう。
 わかっているのに、わかっていても…。
 白い花弁が視界に映る。 花びらかと思ったそれに、奏は手伸ばしてみる。ゆっくりと指先に触れてきたそれの、小さい冷たさに奏では驚いていた。
 今は冬。桜なんてとっくに散ってしまっていたことも、わかっていた。
 確かにそこにあったはずなのに、今は名残しか残っていなかった。
 雪が降ってきた。最近寒かったからいつ降るのかと思っていたところだった。
 彼の肩が小さく揺れる。肩に乗せていた奏の頭が少しばかり浮いた。
 離れたくないと言う思いを抑えつけ、そっと頭を肩から離す。彼の方を見ると、右の目をしきりに手の甲で擦っていた。
 せっかく綺麗な肌なのに、そんなことをしてしまったら傷がついてしまう。奏はそんなことをぼんやりと思いながら眺めていた。
「どうしたの?」
「…雪が」
「目に入ったの?」
彼は擦る手を止めないで小さく頷く。
 当然だろうと奏は思った。あんなにじっと空を空を見ていたら、雪の一つや二つ入らない方がおかしいと思う。
 よほど驚いて違和感があるのか、眠たそうな子供のように、彼はしつこく目を擦っていた。
「そんなに擦っちゃ駄目よ」
擦っている手が伸ばしっぱなしの前髪も巻き込んでしまっている。奏は思わずその手にそっと触れた。擦るのを止めさせなくてはいけなかったから。
 奏は詳しい知識はないけれど、目を擦ると肌と眼球を傷つけてしまうと聞いたことがある。つまり、目を擦ってはいけない。桜田の方が詳しい知識を持っているはずなのに、目を擦ってしまっていた。知識を別として無意識に動いてしまうということが、奏はどこかおかしくて小さく笑ってしまった。
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