頭痛
 秋史はあの晩のことを、思い出そうとしていた。

 確か自暴自棄になって、怒りに任すまま酒をあおっていた気がする。

 だが、それだけではなかった。酔って下宿の側で座り込んでいた時、凪子から電話が掛ってきたのだ。

 秋史は記憶を遡る。


「ねぇ、兄ちゃん。泊まる筈だったお母さんがもう帰ってきたけど、何かあったの?」

「ああ、凪子か」

 懐かしい声だ。小学生なのに、大人帯ていた。

「兄ちゃんな、今、酔ってるから」

 ろれつが回らない。

「お酒飲んでるの?」

「そうさ」

「最低ね。あの人と同じ事をするのね」

「何だって?」

 秋史は電話を耳から離す。

「父ちゃんの事を、あの人って呼ぶな。いつも言ってるだろ」

 妹の言葉が勘に触り、秋史は携帯電話に怒声を浴びせた。

「だってお酒を飲むと、お母さんに酷いことする人や」

 凪子が声を張り上げる。

「酒を飲まなんだら、ええ父ちゃんやないか!」

「酒飲まへん日なんて、無かったやん」

 秋史は言葉に詰まった。一瞬で会話が止まる。

「そやかて凪子には酷いことせんかったやろ」

「お母さんがあの人に殴られとったら、凪子も同じや」

 秋史はまた、言葉に詰まってしまった。凪子は構わずに続ける。

「今度、叔父さんがお父さんになるんやって。叔父さんが言うとった。兄ちゃんはあの人の血が流れとるから、反対するやろって……」

 秋史は堪らず避けるように、携帯電話を投げ捨てた。



『兄ちゃんはあの人の血が流れとる・・・・・・』

 繰り返し思い出す度に、怒りが悲しみに変わる過程を、肌で感じる。

 秋史は焼け焦げた三人の醜い遺体を丹念に確認して、ひとつ、気付いたことがある。

 あれほど苦しめていた、長く深い頭痛が、まるで嘘のように消えたのだ。

 今は信じられないような爽快感に浸っている。

 本当に全てが嘘であったかのように、吹き飛んだのだ。

 秋史は心の中で、笑いが止まらなかった。


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