ボーカロイドお雪
 音楽の授業の後は都合よく昼休みだったから、あたしは高橋先生を押しこむように音楽準備室へ入った。先生の机の横の椅子に座り、先生が言い出す前にPDAにこう打ち込む。
『あのビデオの3番目に歌っていた女の子の事を何か知ってますか?名前とか住所とか?』
 先生は数秒あっけにとられた表情であたしを見ていたが、少し考え込んでからこう答えた。
「あれは、私が以前お世話になった声楽の先生から頂いたビデオなんだけど。あの子は小学生の頃からその音楽家の先生の教室に通っていたわね。私も何度か会って話をしたことはあるけど……名前はそうね、確か『ユキコ』ちゃんと言ったかしら。どんな字か、までは分からないけど」
 ユキコ。
 お雪。
 ユキコとお雪。
 あたしは確信した。これは偶然じゃない。単なる偶然という事は絶対にあり得ない。ここまで偶然が重なるなんて事がこの世にあるはずがない!
 いぶかしそうな表情であたしの顔を覗き込みながら、どうしてそんな事を知りたいのかと言う先生にあたしはとっさに嘘八百を並べ立てた。
 あたしも以前、あの女の子の歌っているところを何かで見た事がある。あの子の歌を聴いた事がある。素敵な声だったからぜひ一度直接会ってみたいとずっと思っていた。出来れば家を訪ねて会ってみたい。そんな作り話を我ながらうまくでっち上げた。
 先生はしばらく考え込んでから「じゃあ、ちょっと待って。」と言って、携帯電話を手にした。あたしの耳に先生と誰かのこんなやり取りが聞こえた。
「もしもし、あの、私、高橋と申します。以前、先生の音楽教室でお世話に……まあ、覚えていて下さったんですか。はい、なんとかやっております。先生も変わらずお元気そうでなによりです」
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