俺の彼女はインベーダー
ここからは全部麻耶から聞かされた話なのだが。
戦艦大和はその見た目のすごさとは裏腹に、悲劇の超兵器だったのだ。第二次世界大戦の一部として日本がアメリカ、イギリスと太平洋戦争を始めた当時、既に兵器としての主役の座は飛行機に移っていた。
大和の建造が始まったのは一九三七年、来るべきアメリカとの戦争に備えてだ。就役したのが1941年12月16日、つまり太平洋戦争の始まりである日本海軍の真珠湾攻撃の直後。
実はこの真珠湾攻撃こそが戦争の歴史を変えたのだ。日本海軍は航空機による攻撃で戦艦アリゾナを含む米海軍の太平洋主力艦隊を壊滅させた。つまり日本海軍自身が、大和のような大艦巨砲の時代は終った、これからは航空兵器の時代だという事を世界に思い知らせたのが真珠湾攻撃だったわけだ。
逆に言えば大和のような馬鹿でかい砲艦は航空機に束になって攻撃されたらひとたまりもない。大和は完成した時には既に時代遅れの兵器になってしまっていたのだ。
大和は戦争の重大な局面ではまったくと言っていいほど出番が無く、最後にはそれを自ら証明するかのように、米軍の猛攻撃を受けていた沖縄に向けて、戦闘機の護衛もなしにわずか数隻の駆逐艦と共に「海上特攻」として出撃する。
何のことはない、大和は沖縄の米軍艦隊にやられる事を前提にして出撃させられたのだ。しかも、海の特攻隊として華々しく最期を遂げるはずの場所であった沖縄にたどり着くことすら出来ず、待ち構えていた米軍の航空部隊の波状攻撃を受けて鹿児島沖であえなく沈没した。
そういう悲劇的な生涯を送った戦艦だったのだ。一説には「世界三大愚行」の一つに戦艦大和が含まれるとも言うらしい。馬鹿でかいだけでいざという時には何の役にも立たなかったという意味で、だ。
ちなみにあとの二つはエジプトのピラミッドと中国の万里の長城。ピラミッドは墓荒らしの侵入を防げなかったし、万里の長城はモンゴル帝国が中国本土に攻め込んで来た時に簡単に突破されてしまったからだそうだ。
戦艦大和はその見た目のすごさとは裏腹に、悲劇の超兵器だったのだ。第二次世界大戦の一部として日本がアメリカ、イギリスと太平洋戦争を始めた当時、既に兵器としての主役の座は飛行機に移っていた。
大和の建造が始まったのは一九三七年、来るべきアメリカとの戦争に備えてだ。就役したのが1941年12月16日、つまり太平洋戦争の始まりである日本海軍の真珠湾攻撃の直後。
実はこの真珠湾攻撃こそが戦争の歴史を変えたのだ。日本海軍は航空機による攻撃で戦艦アリゾナを含む米海軍の太平洋主力艦隊を壊滅させた。つまり日本海軍自身が、大和のような大艦巨砲の時代は終った、これからは航空兵器の時代だという事を世界に思い知らせたのが真珠湾攻撃だったわけだ。
逆に言えば大和のような馬鹿でかい砲艦は航空機に束になって攻撃されたらひとたまりもない。大和は完成した時には既に時代遅れの兵器になってしまっていたのだ。
大和は戦争の重大な局面ではまったくと言っていいほど出番が無く、最後にはそれを自ら証明するかのように、米軍の猛攻撃を受けていた沖縄に向けて、戦闘機の護衛もなしにわずか数隻の駆逐艦と共に「海上特攻」として出撃する。
何のことはない、大和は沖縄の米軍艦隊にやられる事を前提にして出撃させられたのだ。しかも、海の特攻隊として華々しく最期を遂げるはずの場所であった沖縄にたどり着くことすら出来ず、待ち構えていた米軍の航空部隊の波状攻撃を受けて鹿児島沖であえなく沈没した。
そういう悲劇的な生涯を送った戦艦だったのだ。一説には「世界三大愚行」の一つに戦艦大和が含まれるとも言うらしい。馬鹿でかいだけでいざという時には何の役にも立たなかったという意味で、だ。
ちなみにあとの二つはエジプトのピラミッドと中国の万里の長城。ピラミッドは墓荒らしの侵入を防げなかったし、万里の長城はモンゴル帝国が中国本土に攻め込んで来た時に簡単に突破されてしまったからだそうだ。