ひつじのあたま
 唐突な問いを浴びせられ、私は伸ばした手を引っ込めた。
 隣に立った店員は疲れた声で続ける。
 「まあ…うん…。外にいるよりは、危なくないけどねぇ…」
 答えずに黙っていると、店員は少しの間私を見下ろしてから、またレジの方へ戻っていった。
 警察に通報されるかもしれない。どうしよう…。
 けれど、この時間帯を考えれば、空いているのはコンビニぐらいしかない。他のコンビニへ行っても状況はたいしてかわらないだろう。だったらここにいよう。捕まったときは捕まったときだ。
 私は開き直って新しい雑誌を手にとった。
 きっとあのままあそこにいたら、補導されていたと思う。けれど、私はそれを免れた、彼のおかげで。
 雑誌の右端のむこうに、ふいに黒の革靴が見えた。
 横目でその爪先を見つめ、だんだんに目線を上げて行く。ネクタイはしていなくてラフに着た青いワイシャツ。コンビニ店員ではない。
 青いシャツからたどって目に入ってきた横顔には見覚えがあった。
 …誰だろう。思い出せない。
 じっと見ていたら彼がこっちをむき、いきなり驚いたように「あっ」と声をあげ、私の顔をのぞきこんだ。
 「えっと…もしかして、花穂ちゃん…?」
 珍しい生き物でも見つけたかのような表情。私のこと、知ってる人だ。でも私の方は相手が誰なのかはっきりしない。
 安易にうなずいていいものかと迷っていると、彼はちょっと目を細めて、
 「俺のこと、わかんない?悟だよ。湖山悟。詩穂と付き合ってた」
 と言った。
 ああ、そうだ。悟さんだ。髪型が違うからわからなかった。久しぶりだな。
 悟さんはお姉ちゃんが高校生の頃に付き合っていた恋人で、時々は家にも遊びにきていた。
 そういえば、たまにお土産だと言って私にぬいぐるみをくれたりもした。
 けれど、気の強いお姉ちゃんと温厚な悟さんがカップルとして長続きするのは無理があったようで、一年も経たないうちに破局を迎えた。
 別れる数日前まで、お姉ちゃんが「悟のバカ、死ね」と電話口で毎日のように騒いでいたのを覚えている。
 雑誌を戻して、悟さんの方をむいて頭を下げた。
 「あ、どうも。こんばんは」
 言ってからおじさんみたいな言い方だったかも…と恥ずかしくなった。
 「こちらこそこんばんは」
 悟さんはのんびり挨拶を返してくれる。
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