To.カノンを奏でる君
 しかし、そう喜んでばかりもいられなかった。


 記憶が戻った今、記憶喪失になっていた時の自分の態度を顧みる。言葉に表せないほど自分に失望した。

 いくら記憶を失くしたとはいえ、大切だった──自分の全てだった少女を罵倒し、傷つけた。

 自分で自分を殴り倒してやりたいと思った。自分を痛めつけてやりたい。彼女が傷ついた分だけ、いや、それ以上に。


「花音…っ。ごめんな……」


 どれだけ苦しめただろう。どれだけ泣かせただろう。

 祥多の傍で生きた今までに悔いはないと言い、泣き笑った花音。


 心が苦しかった。本当に、自分は病気でも健康でも彼女を傷つけて泣かせるばかりだ。

 そう思うと胸が張り裂けそうで、どうしようもなかった。


「ごめん……」


 静かに肩を震わせる祥多の後ろ姿はとても、小さかった。















 美香子と別れた花音は玄関のドアを開けた。すると、花音の母の声が聞こえた。


「もうすぐ帰って来ると思うわ。もう少し待ってたら?」

「今度にします」


 続いて聞こえて来た声は、祥多のものだった。

 花音は慌てて奥へ駆けた。勢い良くリビングに飛び込む。


「祥ちゃん?!」


 花音の声に、祥多が振り向く。


「花音……」


 祥多は驚いたように花音を見、すぐさま視線を逸らした。


「貴女に話があるって、待ってたのよ、祥多君」

「失礼します」


 ぺこりと頭を下げると、祥多は花音を擦り抜けて玄関へ向かった。


 花音は慌てて祥多を追う。


「待ってよ、祥ちゃん! 話って、」

「さっき。言い過ぎた。ごめん」


 振り向かずに話し出て行こうとする祥多の手を、花音は咄嗟に掴む。
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