To.カノンを奏でる君



 ──入学式前日。


 祥多は壁にかかっている学ランを見つめていた。

 本来ならば明日、これを着て入学式に出るはずだった。けれど体調が悪く、明日その学ランに袖を通す事は叶わない。


 悲しいというより、虚しかった。

 皆、当然のように明日入学式を迎えるというのに祥多は一人、病室だ。

 込みあげる虚しさをどうする事も出来ずにいた。


 すると、扉の向こうから啜り泣く声が聴こえて来た。それは、昔から知っている少女の泣く声だった。

 それから扉は静かに開かれる。


 祥多は何故か安堵した。

 きっと少女も知ったのだろう。祥多がもう永くない事を、入学式どころか、学校に通えないという事を。


 自分の事のように、泣けずにいる自分の代わりに泣いてくれている少女に、祥多は笑みを向けた。

 虚しさは薄れ、温かい何かが心の中に広がっていく。


 祥多はベッドから降り、ゆっくり近づく少女を抱き締めた。祥多が唯一、少女にしてあげられる事だった。


「ごめんね、祥ちゃん…。何も出来なくて、ごめんね……」


 しゃくりをあげながら謝る少女に、祥多は胸を痛める。

 自分の事で泣いてくれていると同時に、泣かせてもいるのだ。胸が痛む。


「ごめん、花音。お前は悪くないのにな…」


 少女が苦しまなければならない理由などない。しかし、祥多が苦しまなければならない理由もまた、ない。
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