もしも願いが二つ叶うなら…
【 大切な人への涙 】
1週間後、無事にカットのチェックに合格することができた。
本当に、このネックレスのおかげかもしれない。
「かんぱーい!」
久しぶりにミサキの家に泊まりに来ていた。
帰り道で買った酎ハイとお菓子を並べて、ささやかながらも二人で合格祝い。
そのささやかさが、今のチカにはちょうどよかった。
「ケン君に合格の報告、もうした?」
「今から!」
そう言ってバッグから携帯を取り出す。
思わず顔がニヤけてしまうのを自分でも止められない。
画面に指を走らせながら、メッセージを打ち始める。
|《チェック合格しました! ケン君と、このネックレスのおかげです!》
すると、ミサキがチカの首元を指差して言った。
「それ、返さなくていいの?」
「うん……返さなきゃね。けど、もうひとつだけ――叶えてほしい願い事があるの」
今、私がいちばん強く願っていること。
その時だった。
テーブルの上に置いたケータイが、ブルブルッと小さく震えた。
表示された名前に、チカの胸がふわりと浮き立つ。
|《おめでとう。近いうちに、合格祝いとモデルのお礼も兼ねてご飯でも行こうか? 3月2日の21時くらいからはどうかな?》
その一文だけで、笑顔が込み上げる。
晴れた空のように、チカの表情がぱっと明るくなった。
|《ぜひ! 私も大丈夫です!》
すぐに返信を送ると、間もなく返事が届いた。
|《じゃあ、21時に吉祥寺駅の公園口で待ち合わせしよう》
|《楽しみにしてます!》
ケータイをそっと閉じて顔を上げると、ミサキはすでに寝息を立てていた。
起こさないようにそっと部屋の明かりを落とし、チカも布団に入る。
最近は、なかなか寝つけない。
でも、それが嫌というわけではない。
胸の奥がぎゅっと締めつけられるようなこの感じ――
不安と期待が溶け合うような、この感情の正体を、私はもう知っている。
ときどき、根拠のない不安に襲われることもある。
それでも、今はこの感情ごと抱きしめていたいと思う。
温かくて、少し苦しくて、でも確かに“誰かを想っている”という証だから。
心のどこかで、それを愛しくさえ感じている。
そう思いながら、チカはゆっくりと目を閉じた――。
【2006年3月2日(木)】
いつもより少しだけ早く営業が終わり、昼食を取れていなかったミサキがスナック菓子で空腹を満たしていると、チカがそっと隣に座ってきた。
「ミサキは、告白ってしたことある?」
「あるよ! まさか、ないの?」
スナック菓子を唇に挟んだまま、ミサキは一瞬、固まった。
「怖くて……」
「まあ、今の関係が壊れちゃうかもしれないしね。でも、その瞬間の気持ちを大事にすればいいんじゃない? 今日の気持ちって、今日しかないんだし」
“今”という一瞬は、“今”にしか存在しない。
“今”を大切にできない人間に、“未来”なんて大切にできるはずがない。
「ミサキ、いつもありがとう」
そう言って店を出たチカは、ケータイの画面を見つめながら、澄んだ夜空の下をゆっくりと吉祥寺駅へ向かう。
待ち合わせ時間の10分前。公園口に着いたと同時に、胸の高鳴りが始まった。
それを抑えるように目を閉じ、静かに深呼吸をする。
――すると、背後から優しい声が聞こえた。
「お待たせ。行こうか」
チカには一瞬、ケンが微笑んだように見えた。
些細なことかもしれない。
けれど、その微笑みがどれほど嬉しかったか。
その一瞬で、どれだけの不安を消し去ってくれたか――きっと、あなたは気づいていない。
今日、伝えたい想いがある。
ずっと心に秘めてきた、この気持ちを。
勇気の欠片が溶けてしまう前に。
今日が明日へと変わってしまう、その前に――。
すぐ目の前にある背中を見つめながら、チカは少し大きめの歩幅に合わせて歩く。
いつもは喧しく感じる街の騒がしさも、今日だけは遠くのざわめきのようで、耳に入ってこない。
聞こえてくるのは、自分の鼓動だけ。
速く強く鳴るこの音が、不安からくるものなのか、それとも幸せからなのか――それはまだ、わからない。
けれど、たった一つだけ確かなことがある。
その原因は、“あなた”だということ。
到着したのは、吉祥寺でも有名なカジュアルフレンチ「Bon Appetit(ボナペティ)」。
「ワインは飲める?」
「白なら好きです!」
「じゃあ、白にしよう。嫌いな食べ物は?」
「何もないです!」
「それなら、いくつかおすすめがあるから俺が決めてもいい?」
「ぜひ! 前からここ、来てみたかったんです!」
チカは目を輝かせながら、店内をじっくりと見渡した。
「なら、よかった」
注文を終え、グラスワインが運ばれてくると、再びケンの心地よい声が響く。
「合格、おめでとう」
そう言って微笑むケン。
ずっと願っていたその笑顔が、今、目の前にある。
またひとつ、願いが叶った気がした。
けれど、幸せを感じたその瞬間、胸の奥が少しだけきしんだ。
それは、ふいに訪れた幸福が消えてしまいそうで怖かったから。
食事を終え、二人はあてもなく吉祥寺の街を歩いていた。
「井の頭公園の桜、見に行きません? もしかしたら、もう咲いてるかもしれないし!」
「まだ早いんじゃない?」
チカの思いつきのような誘いに、ケンは苦笑しながらも足を井の頭公園へと向けていた。
夜の井の頭公園は、どこか幻想的で――
まるで、現実とは違う別の世界に足を踏み入れたような気がした。
二人はしばらく言葉もなく、その異次元のような空気に身を委ねる。
公園を囲む桜の木々は、春の訪れをじっと待ちわびているかのように、ふっくらとした蕾を枝先に宿していた。
さすがに3月の初め。まだ桜は咲いていなかった。
けれど、どうしても見つけたかった。
ただの“桜”ではない、“キッカケ”を。
もしも、一輪でも咲いている桜が見つけられたなら――
それは、あなたの心に降り積もった雪を、春の息吹がそっと溶かしてくれる気がして。
そうすれば、この想いもきっと伝わる。
だから、必死に探した。
春の訪れを信じて――。
「まだ寒いな」
ケンが身をすくめながら、そう呟いたその瞬間――
「温かいよ」
チカは振り返り、優しくそう言った。
「ほら、あそこ見て!」
空に向かって指を伸ばす。
その先にあったのは、夜の闇に浮かび上がる、一輪の桜の花。
たった一輪、静かに、けれど力強く咲くその花は、春の訪れを告げるように風に揺れていた。
“なぜ、咲いていたの?”
心の中で、チカは桜に問いかける。
まるで、自分のために咲いてくれたのだと錯覚してしまいそうで――
けれど確かに、それは“奇跡”だった。
「ケン君……」
花を見つめていたケンが、ゆっくりとチカの瞳を見つめ返す。
その真っ直ぐな眼差しに、小さな勇気が吸い取られていく気がした。
チカは瞳を閉じ、首にかかる金のネックレスをそっと握りしめ、心の奥で願いを込める。
「……あなたのことが、好きです」
なぜだろう。
声に出した瞬間、堰を切ったように涙があふれてきた。
想いを伝えられた安心感?
それとも、答えを聞くことへの怖さ?
想いがすべて届くわけではないと知っているから?
叶わぬ願いもあることを知っているから?
答えはわからなかった。
そんなチカの前へ、ケンがゆっくりと歩み寄ってくる。
街路灯の淡い光が、ふたつの影を地面に映し出す。
やがて、ひとつの影がもうひとつをそっと包み込み、影は重なった。
「こんなこと、初めてで……顔を見ては言えそうにない。だからこのまま聞いてほしい」
ケンの声が、チカの耳元で静かに響いた。
「俺も、君が好きだ」
「でも……ずっと怖かった。俺のせいで、君を傷つけてしまうんじゃないかって。苦しめてしまうんじゃないかって」
「けど君が言ってくれたんだ。“本当は自分を守ってるだけ”だって」
「そのとおりだった。俺はずっと、自分の弱さから目を逸らしていた。だからこそ虚勢を張って、わざと冷たくふるまったりもした」
「それでも、君は離れなかった。拒絶しなかった」
「……凍てつく“雪”が俺なら、君はそれを解かしてくれる温かい“春”だ」
その透き通る声が、不安の涙をそっと癒し、チカの頬に流れるそれを、幸せの涙へと変えていく。
このまま、時が止まってしまえばいい。
本気で、そう思った。
ずっと――
ずっと、あなたが好きだった。
ずっと、心でつながりたかった。
ずっと、あなたの“生きる意味”になりたかった。
こんなにも、嬉しくて、愛しくて、温かい気持ちになれるなんて。
――あなたを好きになって、本当に良かった。
「こんな俺に、もったいないくらいの言葉を……ありがとう」
ケンはチカを優しく抱きしめたまま、耳元でそう囁いた。
その声は、震えていた。
次の瞬間、ぽたぽたと頬を伝って、彼の涙がチカの肩に落ちた。
俺は、初めて誰かの言葉に“幸せ”を感じて、涙がこぼれた。
ずっと縛られ続けていた“何か”から、許されたような気がした。
それは、誰にも打ち明けられなかった重たい過去。
どうしても許すことができず、ずっと背負ってきた罪の記憶。
それを語れば、誰もが目を逸らすと思っていた。
それを知ったら、誰だって遠ざかってしまうと思っていた。
でも、君は違った。
俺のすべてを知って、それでも「好きだ」と言ってくれた。
そのたったひと言で――俺は、自分のことを少しだけ、好きになれた気がした。
君に受け入れられたことで、初めて、自分を少しだけ許せそうな気がした。
それが、どれほど救いだったか……君はきっと知らない。
まるで、君の温もりで少しずつ解けていく“雪”のように。
心の奥に凍りついていたものが、じんわりと溶けていくのを感じていた。
涙は止まらなかった。
けれどそれは、痛みの涙ではなく、あたたかな涙だった。
「ケン君の胸……あったかい」
チカはそっと顔を埋めたまま、動けずにいた。
その胸に触れているだけで、世界のすべてから守られているような、優しい気持ちになれた。
“願いを叶えるネックレス”――
もしかしたら、本当にそんな力があるのかもしれない。
だって、ずっと願っていたこの瞬間が、今ここにあるのだから。
「……これ、返さなきゃ」
チカは静かに手を伸ばし、自分の首にかけられたネックレスを外す。
そしてそっと、ケンの首にそれを戻した。
まるで、おまじないをかけるように、優しく、慎重に。
“ありがとう”――
そのひと言を、心の中で何度も何度も繰り返しながら。
人生には、いつだって二つの道がある。
「運命なんて、あるわけがない」そう諦めるように歩く道と、「これはきっと、運命だ」そう信じるように歩く道。
あの頃の私は、迷いなく後者を選んでいた。
“運命”を、どこまでも綺麗で、どこまでも優しいものだと信じていた。
信じることが、希望に繋がると思っていた。
……まさかこの先に、そんな“運命”の残酷さを思い知る日が来るとは、思いもせずに。
本当に、このネックレスのおかげかもしれない。
「かんぱーい!」
久しぶりにミサキの家に泊まりに来ていた。
帰り道で買った酎ハイとお菓子を並べて、ささやかながらも二人で合格祝い。
そのささやかさが、今のチカにはちょうどよかった。
「ケン君に合格の報告、もうした?」
「今から!」
そう言ってバッグから携帯を取り出す。
思わず顔がニヤけてしまうのを自分でも止められない。
画面に指を走らせながら、メッセージを打ち始める。
|《チェック合格しました! ケン君と、このネックレスのおかげです!》
すると、ミサキがチカの首元を指差して言った。
「それ、返さなくていいの?」
「うん……返さなきゃね。けど、もうひとつだけ――叶えてほしい願い事があるの」
今、私がいちばん強く願っていること。
その時だった。
テーブルの上に置いたケータイが、ブルブルッと小さく震えた。
表示された名前に、チカの胸がふわりと浮き立つ。
|《おめでとう。近いうちに、合格祝いとモデルのお礼も兼ねてご飯でも行こうか? 3月2日の21時くらいからはどうかな?》
その一文だけで、笑顔が込み上げる。
晴れた空のように、チカの表情がぱっと明るくなった。
|《ぜひ! 私も大丈夫です!》
すぐに返信を送ると、間もなく返事が届いた。
|《じゃあ、21時に吉祥寺駅の公園口で待ち合わせしよう》
|《楽しみにしてます!》
ケータイをそっと閉じて顔を上げると、ミサキはすでに寝息を立てていた。
起こさないようにそっと部屋の明かりを落とし、チカも布団に入る。
最近は、なかなか寝つけない。
でも、それが嫌というわけではない。
胸の奥がぎゅっと締めつけられるようなこの感じ――
不安と期待が溶け合うような、この感情の正体を、私はもう知っている。
ときどき、根拠のない不安に襲われることもある。
それでも、今はこの感情ごと抱きしめていたいと思う。
温かくて、少し苦しくて、でも確かに“誰かを想っている”という証だから。
心のどこかで、それを愛しくさえ感じている。
そう思いながら、チカはゆっくりと目を閉じた――。
【2006年3月2日(木)】
いつもより少しだけ早く営業が終わり、昼食を取れていなかったミサキがスナック菓子で空腹を満たしていると、チカがそっと隣に座ってきた。
「ミサキは、告白ってしたことある?」
「あるよ! まさか、ないの?」
スナック菓子を唇に挟んだまま、ミサキは一瞬、固まった。
「怖くて……」
「まあ、今の関係が壊れちゃうかもしれないしね。でも、その瞬間の気持ちを大事にすればいいんじゃない? 今日の気持ちって、今日しかないんだし」
“今”という一瞬は、“今”にしか存在しない。
“今”を大切にできない人間に、“未来”なんて大切にできるはずがない。
「ミサキ、いつもありがとう」
そう言って店を出たチカは、ケータイの画面を見つめながら、澄んだ夜空の下をゆっくりと吉祥寺駅へ向かう。
待ち合わせ時間の10分前。公園口に着いたと同時に、胸の高鳴りが始まった。
それを抑えるように目を閉じ、静かに深呼吸をする。
――すると、背後から優しい声が聞こえた。
「お待たせ。行こうか」
チカには一瞬、ケンが微笑んだように見えた。
些細なことかもしれない。
けれど、その微笑みがどれほど嬉しかったか。
その一瞬で、どれだけの不安を消し去ってくれたか――きっと、あなたは気づいていない。
今日、伝えたい想いがある。
ずっと心に秘めてきた、この気持ちを。
勇気の欠片が溶けてしまう前に。
今日が明日へと変わってしまう、その前に――。
すぐ目の前にある背中を見つめながら、チカは少し大きめの歩幅に合わせて歩く。
いつもは喧しく感じる街の騒がしさも、今日だけは遠くのざわめきのようで、耳に入ってこない。
聞こえてくるのは、自分の鼓動だけ。
速く強く鳴るこの音が、不安からくるものなのか、それとも幸せからなのか――それはまだ、わからない。
けれど、たった一つだけ確かなことがある。
その原因は、“あなた”だということ。
到着したのは、吉祥寺でも有名なカジュアルフレンチ「Bon Appetit(ボナペティ)」。
「ワインは飲める?」
「白なら好きです!」
「じゃあ、白にしよう。嫌いな食べ物は?」
「何もないです!」
「それなら、いくつかおすすめがあるから俺が決めてもいい?」
「ぜひ! 前からここ、来てみたかったんです!」
チカは目を輝かせながら、店内をじっくりと見渡した。
「なら、よかった」
注文を終え、グラスワインが運ばれてくると、再びケンの心地よい声が響く。
「合格、おめでとう」
そう言って微笑むケン。
ずっと願っていたその笑顔が、今、目の前にある。
またひとつ、願いが叶った気がした。
けれど、幸せを感じたその瞬間、胸の奥が少しだけきしんだ。
それは、ふいに訪れた幸福が消えてしまいそうで怖かったから。
食事を終え、二人はあてもなく吉祥寺の街を歩いていた。
「井の頭公園の桜、見に行きません? もしかしたら、もう咲いてるかもしれないし!」
「まだ早いんじゃない?」
チカの思いつきのような誘いに、ケンは苦笑しながらも足を井の頭公園へと向けていた。
夜の井の頭公園は、どこか幻想的で――
まるで、現実とは違う別の世界に足を踏み入れたような気がした。
二人はしばらく言葉もなく、その異次元のような空気に身を委ねる。
公園を囲む桜の木々は、春の訪れをじっと待ちわびているかのように、ふっくらとした蕾を枝先に宿していた。
さすがに3月の初め。まだ桜は咲いていなかった。
けれど、どうしても見つけたかった。
ただの“桜”ではない、“キッカケ”を。
もしも、一輪でも咲いている桜が見つけられたなら――
それは、あなたの心に降り積もった雪を、春の息吹がそっと溶かしてくれる気がして。
そうすれば、この想いもきっと伝わる。
だから、必死に探した。
春の訪れを信じて――。
「まだ寒いな」
ケンが身をすくめながら、そう呟いたその瞬間――
「温かいよ」
チカは振り返り、優しくそう言った。
「ほら、あそこ見て!」
空に向かって指を伸ばす。
その先にあったのは、夜の闇に浮かび上がる、一輪の桜の花。
たった一輪、静かに、けれど力強く咲くその花は、春の訪れを告げるように風に揺れていた。
“なぜ、咲いていたの?”
心の中で、チカは桜に問いかける。
まるで、自分のために咲いてくれたのだと錯覚してしまいそうで――
けれど確かに、それは“奇跡”だった。
「ケン君……」
花を見つめていたケンが、ゆっくりとチカの瞳を見つめ返す。
その真っ直ぐな眼差しに、小さな勇気が吸い取られていく気がした。
チカは瞳を閉じ、首にかかる金のネックレスをそっと握りしめ、心の奥で願いを込める。
「……あなたのことが、好きです」
なぜだろう。
声に出した瞬間、堰を切ったように涙があふれてきた。
想いを伝えられた安心感?
それとも、答えを聞くことへの怖さ?
想いがすべて届くわけではないと知っているから?
叶わぬ願いもあることを知っているから?
答えはわからなかった。
そんなチカの前へ、ケンがゆっくりと歩み寄ってくる。
街路灯の淡い光が、ふたつの影を地面に映し出す。
やがて、ひとつの影がもうひとつをそっと包み込み、影は重なった。
「こんなこと、初めてで……顔を見ては言えそうにない。だからこのまま聞いてほしい」
ケンの声が、チカの耳元で静かに響いた。
「俺も、君が好きだ」
「でも……ずっと怖かった。俺のせいで、君を傷つけてしまうんじゃないかって。苦しめてしまうんじゃないかって」
「けど君が言ってくれたんだ。“本当は自分を守ってるだけ”だって」
「そのとおりだった。俺はずっと、自分の弱さから目を逸らしていた。だからこそ虚勢を張って、わざと冷たくふるまったりもした」
「それでも、君は離れなかった。拒絶しなかった」
「……凍てつく“雪”が俺なら、君はそれを解かしてくれる温かい“春”だ」
その透き通る声が、不安の涙をそっと癒し、チカの頬に流れるそれを、幸せの涙へと変えていく。
このまま、時が止まってしまえばいい。
本気で、そう思った。
ずっと――
ずっと、あなたが好きだった。
ずっと、心でつながりたかった。
ずっと、あなたの“生きる意味”になりたかった。
こんなにも、嬉しくて、愛しくて、温かい気持ちになれるなんて。
――あなたを好きになって、本当に良かった。
「こんな俺に、もったいないくらいの言葉を……ありがとう」
ケンはチカを優しく抱きしめたまま、耳元でそう囁いた。
その声は、震えていた。
次の瞬間、ぽたぽたと頬を伝って、彼の涙がチカの肩に落ちた。
俺は、初めて誰かの言葉に“幸せ”を感じて、涙がこぼれた。
ずっと縛られ続けていた“何か”から、許されたような気がした。
それは、誰にも打ち明けられなかった重たい過去。
どうしても許すことができず、ずっと背負ってきた罪の記憶。
それを語れば、誰もが目を逸らすと思っていた。
それを知ったら、誰だって遠ざかってしまうと思っていた。
でも、君は違った。
俺のすべてを知って、それでも「好きだ」と言ってくれた。
そのたったひと言で――俺は、自分のことを少しだけ、好きになれた気がした。
君に受け入れられたことで、初めて、自分を少しだけ許せそうな気がした。
それが、どれほど救いだったか……君はきっと知らない。
まるで、君の温もりで少しずつ解けていく“雪”のように。
心の奥に凍りついていたものが、じんわりと溶けていくのを感じていた。
涙は止まらなかった。
けれどそれは、痛みの涙ではなく、あたたかな涙だった。
「ケン君の胸……あったかい」
チカはそっと顔を埋めたまま、動けずにいた。
その胸に触れているだけで、世界のすべてから守られているような、優しい気持ちになれた。
“願いを叶えるネックレス”――
もしかしたら、本当にそんな力があるのかもしれない。
だって、ずっと願っていたこの瞬間が、今ここにあるのだから。
「……これ、返さなきゃ」
チカは静かに手を伸ばし、自分の首にかけられたネックレスを外す。
そしてそっと、ケンの首にそれを戻した。
まるで、おまじないをかけるように、優しく、慎重に。
“ありがとう”――
そのひと言を、心の中で何度も何度も繰り返しながら。
人生には、いつだって二つの道がある。
「運命なんて、あるわけがない」そう諦めるように歩く道と、「これはきっと、運命だ」そう信じるように歩く道。
あの頃の私は、迷いなく後者を選んでいた。
“運命”を、どこまでも綺麗で、どこまでも優しいものだと信じていた。
信じることが、希望に繋がると思っていた。
……まさかこの先に、そんな“運命”の残酷さを思い知る日が来るとは、思いもせずに。