- π PI Ⅱ -【BL】
そう、こいつは俺が好きで結婚したわけではなく、単に戸籍が欲しかっただけ。
橘という苗字が欲しかっただけに過ぎなかった。
誰でも良かった。苗字がある男なら―――
「ヒロから聞いたぜ?お前のマイクロチップの逸話」
ポケットに手を突っ込んでぶっきらぼうに言うと、蜘蛛女はうっすらと笑った。
「それで?」
「ヒロは本気にしてなかった。面白い作り話だって言ってたけど、これで色々と納得がいったよ」
俺はポケットから一枚の紙を取り出して女郎蜘蛛の前に差し出した。
こいつは別段驚くことなく、唇を歪めた。
それは約三十年前の雑誌の切り抜きだった。ヒロから話を聞いて、俺は“相棒”の机を引っ掻き回したってわけだ。
そうしたらこの雑誌の切り抜きが出てきた。
小さな切抜きには“ブラックプールダンスフェスティバル。(社交ダンスの最高峰ダンス大会です)日本人カップル、初の快挙”と書かれていた。
男の方の名前は見覚えがない。だけど女の名前が―――
“久遠 刹那(Setuna Kuon)”と書かれていて、写真には今と全く変わらない女郎蜘蛛が優勝カップを誇らしげに掲げていた。
そして俺はもう一枚の紙を取り出す。
その翌年に書き換えられた戸籍謄本の写し。
そこには久遠一家の家族の一人娘の名前、刹那の欄にはバツ印が打ってあった。
「全部俺の“相棒”が持ってたものだ。あいつは気付いてたんだな。
これで納得がいった」
俺の言葉に蜘蛛女は笑顔を浮かべただけだった。