フィレンツェの恋人~L'amore vero~
夜分遅くに申し訳ございません。


その声は弱弱しく、春雨のようにしとりと濡れたものだった。


これから……お会いしていただけないでしょうか。


一郎がどうしたのかと訊ねようとした次の瞬間、携帯電話から泣き声が聞こえて来たのだ。


会って……ください。


一郎は仕事を投げ出し、彼女が待っているという深夜の日暮里駅へ車を走らせた。



深夜、初雪色に染まる日暮里駅。


到着するや否や、一郎にはそのたたずむ人が彼女だとひと目で分かった。


初雪の中、ただでさえ人通りが少ない深夜だというのに、足早に立ち去る通行人の中、羽織物も身に付けず淡い桜色の和服姿の彼女は今にも透けて消えてしまいそうに、そこにぽつりと立っていたそうだ。


『世にも美しい幽霊かと思ったって』


雪に濡れた黒髪はほつれ、彼女は寒さに身を震わせながら駆け寄った一郎を水色の瞳で見つめ、衰弱しきった声で言った。


できるだけ早く……私を、あなたの妻にしていただけませんか。


そして、うつむいて、肩を震わせ本格的に泣きだしたのだという。


『切羽詰まった様子だったって。観ていられなかったって、たまらず抱き寄せてしまったって。父の腕の中で、母が言ったらしい』


私は世故に長けた女でしょうか。


これでは……優しいあなたを利用することになるのでしょうか。


私は節操のない女なのでしょうか。


もう……幸せではなくなってしまいました。


『その時、父は心に誓ったんだって。この先、どんな事があろうとも、この女性の側に居ようと。例え、いつか、裏切られる事になろうとも』


ふたりが出逢った日から1年後の、春。


鷹司家と高城家の結婚式が盛大にとり行われた。


ふたりはたくさんの祝福の中、桜が満開の季節に、晴れて夫婦になった。


『母はその時交際していた彼から裏切られたと思ってしまったのだろうね。実際は違っていたのに』


煌の母が恋人の結婚を知ったのは、週刊誌の本当に小さな記事だったらしい。


御曹司と令嬢の婚約と結婚が記事になっていたのだ。


『けれど、それは明らかに互いの会社の利益だけを考えた、親同士が仕組んだ政略結婚だったんだよ』
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