フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「ハル」


そっと、ハルの手を引く。


「ごめんなさい。もう、聞かないわ。コーヒーを淹れ直すから飲みましょう」


キッチンへ向かう私に、ハルは蚊の鳴くような弱弱しい声で言った。


「おそらく、東子さんも同じ事を言って、離れて行くんだろうね」


「え? 何? 聞こえない」


「ぼくの素性を知ったら、あなたとは住む世界が違うって。言うんだ、きっと」


「何言ってるのよ。私たち、同じ世界に住んでいるじゃない」


同じ宇宙の、同じ世界の、同じ、片隅に。


「本当にそう思える? 本当のぼくを知っても、今と同じ事を言える?」


私には、答える事が出来なかった。


だから、同じ事を聞き返した。


「なら、本当の私を知っても、ハルは私を軽蔑しないと言える?」


本当の親に捨てられ児童養護施設で育ち、今の両親に引き取ってもらった。


実花子、から、東子、に名前を変えられた。


実花子、は捨てられてしまった。


そんな過去をいつまでもずるずる引きずり、婚約者の子供を殺めてしまった、私を。


知っても、ハルは軽蔑しないだろうか。


質問に対しての答えは返って来なかった。


「ぼくと東子さんは、どこか似てるね」


それだけ言って、ハルは寂しそうに笑った。


とても、寂しそうに。


「ねえ、ハル。これを飲んだら、出かけない?」


今日のコーヒーは、やけに苦い香りがする。











< 75 / 415 >

この作品をシェア

pagetop