トルコの蕾
「バレンタインぐらい休んでもよかったのに」
『大切な人に、バレンタインデーに花束を…』とチョークで書かれた黒板を、丁寧に雑巾で拭き取っている浅井絵美に向かって、真希は言った。
店内にはチョコレートコスモスの甘い香りがほのかに漂っている。
「いえ、いいんです。彼氏もいないですし」
絵美はえへへと笑いながら答える。
「意外といるんですね、バレンタインに彼女にお花あげる人って」
今日一日を思い出しながら、絵美は嬉しそうに言った。
バレンタインに彼女に花束をプレゼントするような男の人は特別な人だと思っていたのに、普通のサラリーマンが奥さんに花束を買って帰っていくことに、絵美は驚いていた。
「そうそう。最近増えたのよねー、ちょっと昔はホワイトデーだけだったんだけど」
真希はクスクス笑いながら言う。
「男が嫁に媚びる時代なのよね」
絵美はぷっと吹き出した。
「店長は旦那さんを尻に敷いちゃうタイプですね」
「あっ、ひどいわね。でもまぁ、そうかもね」
絵美の口から発せられると、嫌味っぽい冗談も不思議と清々しい。
最近は店を閉めたあと、こうして絵美と片付けをしながら会話をするのがちょっとした日課になっている。
「絵美ちゃん、好きな人いないの?」
真希がたずねると、絵美は少し頬を赤らめた。
「いるんだあ」