トルコの蕾
ハートモチーフのフラワーベースやハート型ピックを片付けながら、真希は店内を柔らかな桃色と菜の花の黄色で飾り付ける。
バレンタインからホワイトデーまでの間は、雛祭り。
何かイベントがあるごとに真っ先に季節を感じさせるのが花屋の役割であると、真希は上司である園山から教わった。
真希は作業に集中するため店のシャッターを半分閉め、カウンターに戻ろうとした。
その瞬間、開いたシャッターの下側に立ち止まる黒いスーツの下半身が目に飛び込んできた。
「…お客さん…かな?」
迷った挙げ句に真希は閉じかけたシャッターを持ち上げた。
すると目の前に現れたのは他の誰でもない、マネージャーの園山雅人だった。
「ハッピーバレンタイン、真希ちゃん」
「園山マネージャー…」
「約束通り、優秀な部下に会いに来た」
緩いパーマの黒髪に黒いスーツ、いつものスタイルでやって来た園山が言い、ゆっくりと店内を見回した。
「雛祭りの装飾、いいね。あ、これ差し入れ」
園山が差し出したのは、有名な高級チョコレート専門店の紙袋だ。
「マネージャーが誰かからもらったチョコレートなら、遠慮しておきますけど」
真希は思わず吹き出しながら言った。
「バレたか。俺、チョコレート食えないんだよ」
園山は情けない表情で紙袋を覗き込む。
「いいですよ、もらっておいてあげます。高いチョコレート捨てるのはもったいない」
真希は言った。
「あと、今度は営業時間内に見に来ていただけますか?閉店後の店内にマネージャーと2人きりはちょっと」
園山はふっと笑って頷いた。
「そうだな、俺みたいなオヤジと一緒にいる所、彼氏に見られたらマズいか」
「そうですね」
武のことを彼氏と言っていいものなのか、でも今は、なんとなくそう答えたほうが良い気がした。
「そうか」
「…はい」
「じゃあ彼氏とうまくいかなくなったらその時は、ちゃんと報告してくれよ」
「園山さんにだけは、報告しませんよ」
真希が答え、ふたりは顔を見合わせて笑う。
彼と会話すると心が安らぐような気がするのは何故だろうか。それは少なくとも彼が、好きになってはいけない相手ではないからかもしれないと真希は思った。
「真希ちゃん、これ、いいな」
そう言って園山が手に取ったのは、真希が作ったばかりの雛祭り限定ミニアレンジだ。桃の枝、菜の花、淡いピンクのスイートピーに、ガーベラ、グリーンのスプレーマム。
「可愛いな。雛祭りの雰囲気が出てる。陶器のベースもいい」
園山が言うと、真希は嬉しそうに笑った。小ぶりで手頃な雛祭りのアレンジは、孫娘のお土産にと購入する老婦人や、ほろ酔い気味のサラリーマンに人気の商品だ。
「お買い上げありがとうございます」
「あいにく、娘も孫もいないんだ。姪っ子にでも買ってやろうかな」
園山は本気でこのアレンジが気に入ったらしい。花の知識は少ないが、センスの良いディスプレイやバルーンアートを取り入れた会場装飾で定評のある彼に認められるのはやはり嬉しい。