トルコの蕾
絵美が店の扉をゆっくり押し開くと、カランコロンと音が鳴った。
「やぁ、いらっしゃい」
絵美は呼吸を止め、思わず後退りした。
いつもは厨房にいるはずの彼が、さも当然のように扉の向こうに立っていたのだ。
「お一人様ですか?」
彼は、にっこりと笑って言った。
「…あ…あのっ…わたし…」
絵美はしどろもどろになりながら俯いた。
「…ああ、もしかしてユウトに会いに来た?」
彼は眉を八の字にさせて、申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、ユウトは今日はもう帰ったよ」
ユウトという名前は聞いたことがある。
大学生時代、この店では彼が注文を取りに来るだけで女の子達は黄色い声をあげ、「きゃ、ユウトさんと目が合った!」なんて騒いでいるのが聞こえていたから。
でも違う。
絵美が会いたかったのはほかでもない、いま目の前にいる彼なのだ。
「…いえ…あのっ…わたし…」
絵美は何を言っていいのかわからず持ってきた紙袋を差し出した。
有り難いことに店にはもう客はいなかった。
ユウトさん目当てで来た女の子達はもう帰ったのだろうか。
「え?」
彼は不思議そうに絵美を見た。
茶色の短髪は彼の優しそうな雰囲気によく似合っていて、力強い腕が捲った白いシャツから覗いている。
「え、俺?」
彼はまさかという風に笑っている。
絵美は思い切って言った。
「あのっ…わたし、浅井絵美っていいます!…あの…わたし…ユウトさんじゃなくて…」
言葉がうまく繋がらない。
だって名前すら知らなかったのだ。
こんなに彼のことが好きなのに…。
「…あのっ!名前…教えてもらえますか…?」
そう言って、情けない顔で俯いた絵美に向かって、優しい声で彼は言った。
「マサキ」
彼はおかしそうにククッと笑う。
「正しい樹木の樹って書いて、マサキ」