ワイルドで行こう
 こちらはオーソドックスにベージュ色。まさにトレンチの王道というデザイン。だけれど『サマーウール100パーセント』という上質素材もさることながら、あまり流行に偏らない、でも羽織ると抜群のスタイルラインを作ってくれるコートだった。
 値段が高いこと、スプリングコートは着る時期が短いこと、そしてなによりも上質素材だけに『しわ』になりやすい欠点を言い訳にして、諦めた。
 スタッフの女の子も迷っている琴子に、こんなアドバイス。『サマーウールだから出来たしわも、暫く吊っていればスッと取れはしますよ。でも最近は、しわが出来るものほど上質素材と見て理解するお洒落な人も減りましたから、しわがある服は敬遠されがちですよね。お手入れがしやすくて、しわになりにくい扱いやすいものが毎日着るのに困らないかも』というアドバイスが最後の決め手となり、三万円の化繊入りハーフコートへと決断した。
 でも上質素材のロングトレンチを羽織った自分は、とても大人に見えた。大人の上質感はやはり素材と縫製だと思った。だけど倍の値段、踏ん切りつかなかった……。そのコートが今、自分の手にある。
 あんな、着ることに興味がなさそうな男性が、煌びやかな百貨店に行ってポンと即決で買ったならショップのスタッフもびっくりしたかもしれない。しかも琴子と関係ある男性だと知ってしまったようだし。だから琴子がこのコートを買うどうか迷っていたから、彼に『あのコートが駄目になったなら、こちらを琴子さんは喜ぶかも』と勧めたのだろう。彼も彼で、それを信じてあっさり買ってしまうなんて――。
 でも、すごい。きっぱりと迷いがない決断と判断だと思った。かえって気持ちが良い人だと思った。 ――でも、きっと。
 「もう二度と会わないわね」
 そう思った。なんだかちょっと残念に思えた。
 自販機の側に桜の木、花びらがひらひら。夜桜、夜風、そして煙草の匂い。
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