ワイルドで行こう
もし、琴子が千絵里さんと同じように、別れた彼の家に忍び込んでしまったなら。もし、そこで彼と新しい恋人が寝室で愛し合っていたなら。ドアから聞こえてくる恋人同士の濡れた囁き合いなんかに遭遇してしまったら『逃げ出す』と思う。でも……琴子はそこでもっと、女として困るほど見えてしまったものがある。それは『聞こえてきた囁きの内容』だった。
今夜の英児の囁きは、いつもと違った。『特別』だった。これから一緒に暮らしていこう、『家族になろう』と、愛し合っている恋人に告げた。囁きだけなら、青ざめて絶望して唇をかみしめてドアの側で泣き崩れるだけで終われたかもしれない。でも……。琴子は苦しくなる息を吐きながら、またうずくまる。
――『琴子、いくぞ』。
英児の、あの最後を駆け抜けようとした声を聞いてしまったに違いない。それを見過ごしたら、新しい恋人の身体に英児と女を確かに繋ぎ止めるものが生まれる可能性ができる。
もし、子供が出来たら。もう取り返しようがない。
そこに遭遇した女が後先考えずにしたこと。『ドアを開ける』。
そこに至り、琴子はついにベッドに倒れうずくまる。涙がいっぺんに出てきた。
『阻止、されたんだわ』
英児と本当に結ばれるその瞬間を、男と女として対になるその瞬間を。琴子にとっては最高に幸せになれたかもしれないその瞬間を。秘密の時を踏みにじられた!
女の情念に襲われたおぞましさと悔しさがいっぺんに沸き上がってくる。
起きあがる。そしてすぐさまクローゼットを開け、この家に置いている下着に洋服を手に取り身につけた。
英児が琴子用にと揃えてくれたナイトテーブルに置いてあるバッグを手に取ると、頭が真っ白なまま、この寝室を飛び出す。
リビングでは、まだ二人が言い合っていた。
妻になるはずの女に『家族になれない』と突きつけておいて、『お前から出て行った』てなんなのよ。そっちが仕向けたんじゃないの。
順序ってもんがあるだろが。その加減を間違えたんだよ。
良いお嫁さんになろうと、頑張っただけなのに?
だから、『まだ家族』ではなかったんだよ。
これから貴方の嫁になるなら『家族』同然じゃないの。違うの、そうだったでしょ。私をいい気分にさせておいて、あんな突き落とし方ってある?
だから『まだ、家族じゃなかった』と言っているだろ。お前、最後に俺とおふくろに何を言ったか忘れたなんていわせないぞ。もう一度、ここで、俺の目の前で、今すぐ言ってみろ!
琴子にはもうそんな言い合いは聞こえないに等しかった。だから構わず、険悪な空気をまき散らしてやまない二人の世界の側へと飛び込んだ。