ワイルドで行こう
「あのとき、なにもかも千絵里の中から崩れていったんだろうな。八方塞がりの女が少しだけ拠り所にしていたそこも塞がれて、とどめを刺されたってところかね」
そして苦悩する中、千絵里さんがたどり着いたのは、『自分が掴むはずだった幸せ』。何故それを、別れた後特定の恋人も持たなかった元婚約者の男がいとも簡単に、新しい女にあげてしまったのか。
文句を言わずにはいられなかった。行かずにいられなかった。その裏側に『私の話を聞いて欲しかった』。それを分かってくれるのは、英児しかいない。その思いがあの日の夜、吹き荒れた。盆ならば、新しい彼女も実家にいるのでは。そして千絵里さんも知っていたのだろう。実家に帰ると英児も孤独を募らせて自宅に戻ってくる。その日に会いに行こう……。そう思ったのではないか。
なのに。新しい彼女が一緒にいた。しかも寝室に。
そしてあの、ドアが開く。
思い出すと今でもぞっとする。あの時の人影。ぼんやりと見えた彼女の青い影は、時節柄『亡霊』にさえ見えた。
でも、琴子の胸がキリキリ痛み出す。
「……三十過ぎて、どうしていいかわからなくなることって……あるんです……。先が見えなくて、時が経つほど、このまま女一人で生きていくのだろうかと不安になる。男の人には分からないかもしれないけど」
三十後半を迎えた千絵里さんの気持ちは、まだ若輩の琴子に『判る』だなんて言ってはいけないかもしれない。店長になるまで頑張り抜いてきた彼女の、孤独感とか焦燥感など、琴子に比べたらとてつもない大変さだったと思う。
でも、そう思う。自分も英児がいなければ、そうなりかけていたから。
「わかんねえよ、おっちゃんにも。けどよ、千絵里を見ていたら。おっちゃんも泣きたくなったわ」
あの矢野さんが。英児のような遠い目を停泊しているフェリーの向こうにある水平線へと馳せていた。
そうですね。痛いです。矢野さん。
小さくつぶやくと、琴子にも一粒の涙が目尻に。
「だけどよ。琴子も、よく堪えてくれたな。お前が思いきって英児を千絵里に向かわせたから、なんとなく二人の様子も変わってきたんだわ」
どのように変わったのだろうかと、琴子は矢野に問い返す。