ワイルドで行こう
 呆然とする琴子。我に返って自分を見下ろすと右半分、黒い斑点が散らばっている! 買ったばかりのトレンチコートなのに、裾から衿まで見事に水玉模様。
「うっそ、信じられない~」
 三万円もしたのに! 迷いに迷ってやっと買ったのに! なにこの状況!
 泣きたくて逃げたくてへとへとに疲れ果てているのに、さらに拍車をかけるこの不運はなに?
 もう本当に涙が滲んできた。急いでハンカチを出して拭き始めると、バタンと車のドアが閉まった音がした。
「ご、ごめん。悪かった! 大丈夫ですか」
 あの黒い日産車の男が律儀に車を停めて、運転席から出てきてしまった。しかもこちらに走ってくる。
「だ、大丈夫です」
 いや、関わりたくない。しかも涙目の顔なんて誰にも見られたくない。でも、作業着姿の煙草の匂いが染みこんでいそうな男がもう目の前に来ていた。
「しまった。いつもそこに水溜まりができること忘れていた」
 黒髪をかきあげ、困惑する彼と目が合う。だがそれを合図のようにして琴子は走り出していた。
「おい、待ってくれよ! せめてクリーニング代……」
 振り切るようにして自宅への道を走り抜く――。そこの角を曲がれば、我が家がある住宅地。
 近所の家が軒を並べている小道まで来て、琴子はやっと振り返る。そこにはもう、いつも通りの静かで暗い我が家への道があるだけでなにもなかった。
 
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