ワイルドで行こう
 製版室を出るドアの壁際、そこにデスクがふたつ。ドアを出ると外に出られるのだが、そこでも呼び止められる。
「琴ちゃん、昨日は手伝ってくれて有り難うな」
「もう校正、てんこもりで間に合わなくて助かったわよ」
 こちらは中年男性とベテランおばさんの二人組。たった二人だけで出来上がってきたフィルム製版の最終チェックをしている。琴子もこの過程に携わる仕事を一年ほどしてきたから、ここも古巣か。
「二人じゃ無理ですよね。社長ジュニアにもいつもそう言っているんですけど」
「本当、ジュニアさんによく言っておいてよ。琴子ちゃんを取っていっちゃったんだから」
 部署責任者の男性がため息をついた。
 昨今のデジタル化に伴い、昔気質な製版員が徐々に自主退職。社長が仕入れるマックの台数も限りがあり、琴子もいよいよ居場所がなくなって転職をせねばならぬかという時、文句も言わずにどの部署もこなしてきたことを認めてもらえたのか、息子が興したデザイン会社へ抜擢されたのだ。
 そこでデザイナー達が原稿を制作、版下を作るまでがジュニア社長デザイン会社の仕事。出来上がったらパパ社長の印刷会社が製版、印刷という流れで業務を行っていた。
 デザイナーをやりたかった時期があったのも本当だが、今はデザイナーの苦労を目の当たりにしているので、如何に自分に才能も忍耐もないか良くわかっている。この会社の仕事を流れを良く知っている琴子が社長ジュニアのアシスタントとして望まれたということだった。
 ちなみにジュニアといえども、若社長は四十代のおじさんで既婚者。中学生の子供がいる。社長から見ても琴子から見ても異性としてはひとまず対象外で、そこのところは気の置けない仲で仕事が出来ていた。
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