SONG 〜失われた記憶〜
「…ハル兄、おはよ」
「……」

 もちろん、声をかけても返事が返ってくるはずない。けれど主治医のお医者さんに出来るだけ毎日声をかけてあげて下さい、と言われた。植物状態でもちゃんと声は聞こえているらしい。

「昨日ね、皆が一日遅れだけど私の誕生日のお祝いしてくれたの。楽しかった。…いつかハル兄とも一緒にお祝いできるかな?」

 そんな日が来るのだろうか? 自分に問い掛けみるが、答えが出てくるはずもなかった。

 その後、他愛ない話をした後私は部屋を出て階下に降りる。お味噌汁のいい香りが鼻を擽り、自然とその匂いがするリビングへと足が動く。

「おはよう、珠代さん」
「おはようございます、詩さん」

 広くて長い六人掛けの食卓テーブルに珠代さんの手によって私の朝食、いや昼食が並べられてゆく。

 少しぽっちゃりとした体型の彼女は笑顔が素敵でいつもその笑顔に私たちは癒されている。年齢は五十七歳だが、そのふっくらとした体型のせいもあってか、実年齢よりも少し若く見える。住み込みで家に働いており、単なる家政婦ではなく、箕山家の家族の一員だと私は思っている。私が幼い頃からここで働いてくれているので私にとっては第二の母と言っても過言ではない。

「珠代さん、お花生けてくれてありがとう」
「いえ。恋人からの贈り物ですか?」
「……そんな人いないよ。友達から」

 珠代さんと会話しながらも私は用意された昼食に手を伸ばしてゆく。焼きたての鮭が適度な塩加減で美味しい。私が作ったらこうはいかない。それ以前に料理そのものをあまり作ったことがなく、唯一作れるものはお粥くらいだ。それも料理とは言い難いかもしれないが。

「今日は何かご予定でもあるんですか?」
「んー、今日は事務所で夕方からスケジュールの打ち合わせがあるだけだから……その前にジムにでも行こうかな」

 と、珠代さんは何もすることがなくなったのか、私の向かいの席に座って紅茶をのんびり飲んでいる。

「相変わらず毎週ジムに行ってるんですか?」
「最近は曲作りで行けなかったけど…大体は」
「頑張りますね」
「でないと体力持たないもの。――ふう、お腹いっぱい。ごちそうさま」
「はい、お粗末様でした」

 珠代さんは立ち上がって食べ終わった食器を片付けてくれた。

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