SONG 〜失われた記憶〜
 言い忘れていたが、彼は数年前から別居中ではあるものの、既婚者である。仕事ばかりで家庭を顧みない自分に愛想尽きたんだ、とよくお酒の場で嘆いていたのをよく覚えている。別居をしていても月に一度は会っているらしく、こうして歯切れ悪く答える時は大抵、奥さん絡み。なぜか私には話したがらないので深くは追求しないが。

 サイフォンで淹れたコーヒーをカップに注ぎ、カットしたケーキをお皿に盛りつける。それらを洒落たお盆に乗せて深夜のカフェタイム。

「誕生日おめでとう」

 カチャン、とコーヒーカップで乾杯。誕生日はもう過ぎてしまったが、二人だけのささやかなお祝い。豪華なパーティーなんかよりもずっとこっちの方が気楽でいい。去年は事務所が盛大なパーティーを開いてくれたのだが、お偉方の挨拶回りで却って気疲れしてしまった。だから今年は気の許せる仕事仲間や友人だけで後日、祝うつもりだ。

「今日、義人さんが来てくれなかったら危うく、誕生日一人で過ごすとこでした」
「ああ…今新曲作ってるんだっけ?」
「はい。ちょっと行き詰まってて…」
「へえ、珍しいね。昔はよく即興で作ってたじゃん」
「いつの話してるんですか。子供の頃の話ですよ、それ…」

 昔話を持ち出す彼に私は呆れてしまう。

 ピアニストの母と指揮者のマエストロを父に持つ私は物心ついた頃から様々な楽器に触れていて、兄や両親に教わりながらも数種類もの楽器を自在に扱えるようになった。周りからは天才だとか言われていたが、実際は違う。子供の頃は体が弱く、外出も禁止されていたのでとにかく暇だった。作曲も覚えて、毎日のように即興でメロディーを奏でていた。毎日楽器に触れていれば嫌でも上手くなる。

 BAZZを結成してからというより、本気で音楽に取り組むようになってからは昔のように即興で曲を作れるようなことは少なくなった。こうして時折、行き詰まることも多々ある。

「あ、そうだ。これ誕生日プレゼント」

 と、どこからともなく出てきたのはキラキラと宝石箱のようなオルゴール。持っているだけで心が躍りそう。ネジを回して蓋を開けてみると、懐かしいキラキラ星のメロディーが流れた。小さい頃、母がよく子守唄代わりに歌ってくれていた曲だ。

< 3 / 28 >

この作品をシェア

pagetop