新撰組のヒミツ 壱
第7章.落命の時、来たる

政変



        ――1――


「急げ! 」
誰かが隊士を急かす声が響く。


文久三年、八月十八日。照りつける夏の陽光が身を焦がすほどの猛暑日のことだ。


壬生浪士組は、昼餉をとった時から組内が慌ただしくなり始めた。組長以下の隊士が一様に、鎧と浅葱色の羽織りを身にまとい、帯刀する。




京では、尊皇攘夷派である長州が政治の実権を握っていた。しかし、これを快く思わないのが、本来京を治めるべき会津だ。


会津は幕府と朝廷が力を合わせて政治をすることを主張する公武合体派である。


そのため、長州と敵対していた薩摩と手を結び、長州の追い出しを図ったのだ。


夜半のこと、公武合体派の者が御所に入ると、全ての扉を頑丈に閉めてしまった。


――いわゆる、締め出しである。


長州の者たちは直ぐに御所へと向かうが、薩摩と会津の藩兵が扉を守り、蟻一匹さえ通さぬという構えだ。


会津が出兵したことにより、自然とお預かりである壬生浪士組も出兵命令が下されたのだった。


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