大海の一滴

TATUYUKI 2


「ごめんなさい。ちょっと、のどが渇いてしまって。何か注文をしてもいいかしら」
 秋野月子は右手で軽く喉を押さえ乾いた堰を一つこぼした。
額に一本の綺麗な線が浮き上がる。

「もちろん」
 紳士的に頷いてから、軽く手を上げ、先程のウエイターを呼ぶ。

 相変わらずチャップリンのような彼は、片腕にメニューを挟み込み、逆手に銀色の水差しを持って姿勢正しくやって来た。

 いつの間にかカウンターに老人の姿は消え、代わりにサラリーマン風の中年男性が扉近くのテーブル席でスポーツ新聞を目で追いながら、コーヒー(おそらく)を飲んでいるのが見えた。
 彼も別段、チャップリンのことを気に留めている様子は無い。

 似ていると思っているのは自分だけなのだろうか。


「ええと。クリームソーダをお願いします」
 メニューを捲り彼女がオーダーする。
なんとなく、彼女には不釣合いな飲み物だと思った。

 が、次の瞬間、無性に自分もそれを飲みたくなった。

「あ、同じものをもう一つ」
 達之の追加オーダーに、秋野月子は口元だけで涼やかに微笑んだ。

 達之は照れ笑いを浮かべる。
「クリームソーダってたまに無性に飲みたくなる時がありますよね。子供の頃好きだったんですよ。と言っても喫茶店の立派なものはなかなかお目にかかれないから、専ら駄菓子の奴を飲んでたんですけど。緑色の粉を水で溶かして作る奴です。アイスクリームなんか絶対に浮いてないし、たぶん、これとは比べようもないくらい、まずかったんでしょうけど」

 でも、あの時は美味いと感じた。

 緑の粉に水を注ぎ、掻き混ぜてぶくぶく泡立てる。
そんなものも含めての美味いだったのだろう。

 子供は五感をフルに使って味わうのだ。

 美和がとんがりコーンを両の指にはめ込んで、必ず左手の小指から順番に食べていくのも、それが彼女の味覚を最大限に引き出す食べ方なのだろう。

 そう考えると母親の美絵子に「行儀悪い」と叱られ、残念そうに一つずつ摘む美和が少し気の毒に思えた。




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