大海の一滴

 そんなはずはない。


 でも、さちは間違いなくオレと美絵子の娘だ。


 慌ててさちが産まれた時のことを思い出そうとするが、連日続いたカレー事件が強く印象に残っていて、上手く思い出せなかった。



 そう言えば谷村部長にカレーの話をした時も、いつの間にか美和の話に置き換わっていた。
 部長とは美絵子と結婚する前からの付き合いだ。結婚式にも参列して貰っている。……結婚式?



(?? 式はいつしたっけ?)


 おかしい。


 結婚してからまだ十一年なんて経っていないぞ。



「藤川さんと美絵子の結婚式に私が出席したのは、七年くらい前だったと思いますが、その頃美絵子に子供はいませんでした。計算が、合わないんです」

 秋野月子がゆっくりと説明する。


「だけど」

 達之は呟いた。じゃあ一体、あの子は、さちは誰なんだ?



「前の家出の時、私は窓の外にさちちゃんを見ました。その時は薄暗くて雨も降っていたし、見間違いだったのだと考えていましたが。藤川さんは今、毎日家に美絵子の気配を感じているんですよね」

「……気配と言うか、ええと。でも、家事をしてくれているのは美絵子だと思います」

 きっちりした洗濯物のたたみ方、達之好みに改良された料理の味付け(最近はさちのカレーばかりだったが)、食器を洗った後のふきんのかけ方、わりときっちりしているのに、タオルだけは無造作にかけてあるところまで同じだ。

 あの心地良い清潔感と乱雑加減は、間違いなく美絵子の仕事なのだ。





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