抹茶な風に誘われて。
 ――くそ。どうしてすぐに気づかなかったんだ。

 言ったとおりに時折電話をかけてきたり、他愛無い話で笑ったりしていたから、微妙な変化を見落としたのだ。

 例の茶道クラスを断ったのは、実は面倒な交換条件と引き換えに了承してもらったことで、金にもならない善意の翻訳業務が追加されていたから、あれから忙しかったのは事実。

 そんなことを言い訳にする気などないが、ただむしゃくしゃと腹の立つ思いが心の中に渦巻いていた。

「静さん、できましたよ?」

 呼ばれて初めて、自分が壁にもたれて、腕組みしたまま考え込んでいたことに気づく。

 小首を傾げて俺を待つかをるの向かいに腰掛けると、目の前に並んだものに本気で感嘆した。

「これは――うまそうだな」

 ほかほかと湯気を立てる味噌汁に、かぼちゃの煮物、それからいつの間に解凍したのか、冷凍庫にあったはずの秋刀魚がおいしそうな焼き色付きで皿にのっている。

 白いご飯をよそいながら、かをるが舌を出した。

「おまけの酢の物だけは、ちょっと楽して買って来ちゃいましたけどね」

 食器棚から出してきたガラスの器にもずくを移しながら笑っている。

 この笑顔を曇らせる女のことを思い出して、突然気分が悪くなった。

「おい、かをる――」

 確かめようとした俺の言葉と重なるように、かをるが俺の名前を呼ぶ。

 思わず口をつぐんだら、嬉しそうな笑顔が花開いた。

「私、本当はこうしてお料理作って、静さんに食べてもらいたかったんです。実は、昔から憧れてて……」

 好きな人ができたら、その人と笑顔で食卓を囲みたい――それが夢だったのだとかをるは続ける。

 不幸な生い立ちを自慢するような悲劇のヒロインタイプなら、飽きるぐらい見てきた。

 けれど目の前のこげ茶色の瞳は、まったくそんなつもりなどない、純粋な喜びを伝えてくる。

 付き合う前ならあれこれ裏読みして、苛つくこともあった施設の話も、今では素直に聞くことができた。

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