抹茶な風に誘われて。
 思いがけず昼食を頂いてから、私たちが通されたのは静かな茶室だった。

 露地(ろじ)と呼ばれるお庭を通って、蹲踞(つくばい)で手水を使い、躙口(にじりぐち)から上がりこむ――静さんが自宅で使っている茶室代わりの和室とは全く異なる伝統的茶室。

 天井も低く、ほの暗い空間は独特で、俗世間と聖なる空間である茶室を隔てる結界の役目があの小さな入り口なのだと教えてくれた静さんの言葉がそのまま飲み込めた。

「お点前、いただきます」

 緊張しながらそう断って、なんとか今まで教わってきた動作で頂いたのは、お父様の点てた濃茶。

 先ほど出された生菓子の上品な甘さが、濃茶の渋みでちょうどよく調和されていく。

 京都で有名な茶道の流派で、師範の資格を持っておられるというお父様は、全ての動作が流麗で美しかった。

 昔からの大地主であり、正当な家柄と血筋を誇る一条家。

 例えそれが広く様々な分野に手を染めるグループの社長であるからといって、日本の伝統と格式を重んじる場所の先頭に立っている以上、伝統芸能である茶道や華道などの嗜みは欠かせないのだと、きちんとした手つきでお茶を飲む斉藤さんが教えてくれる。

 静さんが大学合格を機に姿を消していなければ、そのままその役割は受け継がれていたはずだったんだと、今更ながらに遠い人のような気がした。

 それだけ重い役目を捨てることにも、それから捨てられたほうにも――どれだけの葛藤があったのだろう。

『甘ったれるな』

 突然、静さんがアキラくんに向けた言葉を思い出した。

 あの時、あの言葉をどんな気持ちで口にしたのだろう。

 気づいてみればよく似たところもある境遇に、自身を重ね合わせたりしなかったのだろうか。

 重ね合わせたからこそ――自分の心が見えたのかもしれない、なんて勝手に思いながら、私はお父様と向き合ってお茶を飲む静さんを見つめていた。
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