crocus

約束とナイフと冷たい川

      ***

橘さんのお母さんだという女性が現れた日から数日が経った。

あの後、「また出直します」と言い残して去った橘さんのお母さんは悲しそうに笑っていた。

橘さんのお母さんは何か用事があってクロッカスに来たはずだけれど、対応した桐谷さんには尋ねていない。

桐谷さんが誰にも話さないということは、きっとオーナーさんのことも関係しているのだろう。オーナーさんがいない今、それを無理に聞き出すのは違うと思ったのだ。

若葉は手に軍手をはめて、店先の花壇に生えた雑草を1つ1つ抜きながら、先日の出来事を思い返していた。

橘さんは何ら変わることなく、毎日の料理人としての仕事に精を出していた。包帯はすぐに外されてしまったけれど、代わりにと渡した絆創膏はきちんと貼っていてくれていて、嬉しかった。

お母さんとのことなど複雑な心境だと思うけれど、とりあえずは誠吾くんをからかったり、誠吾くんをいじめたり、誠吾くんにイタズラして、ニヒルに笑っている様子を見る限りでは、少し安心した。

もちろん周りに心配かけまいと、明るく振る舞っているのかもしれないけれど。

ひょっこりと立ち上がって気づかれないように頭だけ出して、店内の様子を窓から観察してみた。

毎月第4週の水曜日は定休日を使って、店内の大掃除。

琢磨くんと恭平さんがそれぞれ脚立の天辺に座って照明のシャンデリアを拭いていて、その脚立を支えているのは誠吾くんだ。

そして膝カックンしたり、雑巾をわざと投げつけているのは、もちろん橘さん。きっと橘さんは誠吾くんがとても可愛いのだと思う。

誠吾くんような癒しの存在があってよかったと安堵して、若葉はまた作業に戻った。──もちろん後で誠吾くんを労ってあげるつもりだ。


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