crocus

もうすぐ5月。

そろそろ夏に向けて何か花を植えたいな、と元気になれるような夏の花を頭の中で選択していると、後ろから男性の低い声で話しかけられた。

「キミ、ここのお店の子ですよね?」

定休日だと知らないお客様かと瞬時に思った若葉は慌てて振り返った。

相手の男性の風貌はこの商店街では場違いなほど、かっちりとした黒いスーツを着こなしていた。男性の背後の路肩には、これまた高級そうな黒い車が停めてある。

「そう、です。従業員です。申し訳ないのですが、今日は生憎、定休日でして……」

「いえいえ、客ではありません。あなたにここよりもっと厚待遇で雇いたいと上の者が申しておりまして、まぁ詳しい話は場所を変えて……」

「え!? 急にそんな……。どちら様ですか?」

「あぁ、失礼しました」と言って、色白でキツネのように目が細めの男性は手慣れた仕草でジャケットの胸ポケットから名刺を一枚取り出し、つらつらと話す。

「私、株式会社大島グループの土地開発部、田辺と申します。計画中である複合施設建設により、失業されてしまう方に向けて再就職先を紹介させていただいております」

「はぁ……」

渡された名刺に書かれた長い肩書きを見てもいまいち分からなかったが、複合施設建設という単語を聞いた瞬間、若葉は敵対心を抱き一歩、後退りをした。

そんな若葉の様子を見て、ねずみで遊ぶネコのように卑しく笑った田辺さん。

「まぁ、そう固くならずに。あなたには『特別席を用意している』とお伝えしろと、上司に言われただけですので……。今すぐ取って食いやしませんよ。気になるようでしたら、詳細は我が社にて直接上司にお尋ねください」

と言いながら笑顔を崩さない田辺さんは、若葉の背中に手を当てて停車している高級車へと導いていく。

危うく口車に乗せられそうになるも、足を突っぱねて拒否した。

「困ります!私は掃除の途中ですし、クロッカスだけじゃなくて商店街のみなさんを裏切るような話は興味ありません!」

ピシャリと強く言い放てば、田辺さんの穏やかだった細い目が、パッとわずかに見開かれた。



< 285 / 499 >

この作品をシェア

pagetop