あの子の好きな子



「・・・せ、先生、なんか今日、変かも」

わけのわからない沈黙が流れてしまって、私は思わずそう言った。先生は頭をぽりぽり掻いて、情けない顔になった。昔よく見た困った表情とはどこか少し違う。

「ああ、うん。今日っていうか、最近、ちょっと変かもしれないな」
「え?そうなんですか?」
「いや、まあ。何っていうこともないんだけど」
「はあ」
「・・・行こうか。早くお弁当食べないとな」
「あ、はい・・・」

何が起こっているのか全くわからないのに、私の心臓はとりあえず速く動けと指令が入っているのか、ドキドキドキドキと落ち着かなかった。なぜだかわからないけど、先生が急にひとりの男の人みたいに見えた。もともとひとりの男の人だけど、今日の先生は、センセイではなくてただの篠田悠一だったような、そんな気分だった。

――考えてみるよ。・・・考えてみるから・・・

もしもあれが、私のことをちゃんと考えるからっていう意味だったら。私の気持ちに向き合ってやるっていう意味だったら。先生と別れてから、そんなことばかり考えた。ちゃんと、考えてみるから、待ってて。そんな言葉が続くとしたら、ほんの小さな一歩でも私は進めたんだろうか。でも真意は闇の中だし、先生のことだから、何にも考えずに言ってみただけかもしれない。ただ正体不明のドキドキだけが、確かなものとしてそこにあった。



「4月になって、新入生が入ってきたら、勧誘なんとか頑張るからさ。3月いっぱいは、来てくれないか」

軟式野球部の、通称池ちゃんにそう言われた。美咲がふられた、その人だ。池ちゃんは美咲が来なくなった理由を重々承知しているから、付き合わされたあげく一人で兼部をするはめになった私の立場をわかっていて、申し訳なく思っていたそうだ。そうか、少なくとも4月からはまた準備室通いが再開できるんだとわかったとき、嬉しいような少し恥ずかしいような気持ちになった。


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