絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 

いつか、破滅する

「あぁ……天井が高い……」
「(笑)。そんな長く本社にいなかっただろう?」
「そうですけど……」
 宮下は天井を見上げる香月を微笑ましく思いながら、上機嫌で束の間の心の癒しを求めた。
「よかった……本当は何年も店に帰れなかったらどうしようかと思ってましたから」
「まあ……通勤が少し遠いか」
「ですよー! ほんとに大変でした!」
「でも真籐さん、優しかっただろう?」
「そうですね……私、ちょっとワガママ言ったかなぁ……。店舗に戻りたいって散々嘆いてましたから」
「本社でいるのも滅多にない勉強の機会だったぞ?」
「そんなの……いりません」
 彼女は店に戻ってこられたことを心底喜んでいるようだった。水を得た魚のように店内を走り回り、積極的に接客をしては、簡単な中ノ島の物を次々に販売している。今日は本当は店内でフリーの予定で、溜まっているリサイクル券の入力担当に命じられているのだが、まあ、一日くらいは忘れたふりをしよう。
 そのくらい、本社に行く前の落ち込みようときたらなかった。世話人の真籐氏のことを知っている人間ならある程度安心はできただろうが、全く知らない人と突然知らない仕事をすることの不安プラス、店舗に戻ってこられるのだろうかという疑問が頭から消えなかったのだろう。
 そんな香月の心情を汲み取っての店舗移動……本社はそれほど甘くはない。真籐氏に限ってはそれを汲み取ったのかもしれないが、その奥には実はある一つの膿があった。そのために香月は密かに店舗に移動されたである。
 宮下は年始のまだ慌ただしい時期をどう乗り越えようか考えながら、天井を眺める。
 心身共に疲れてくると天井の巨大液晶を眺めるのがこの店の連中の心休めだが、宮下にとってその行為は逆に負担をかけることが多かった。
 天井のライトの一部は年始の緑、赤、白に付け替えられており、南天の実や松が適度に装飾されている。
 この一年間、よく駆け抜けてきたと思う。店舗立ち上げ時には別の店長がいたがすぐに崩れた。急遽本社を捨てて抜擢された形になったのだが、それで一年間移動なしということは周りからの評価がそれだけあったということであろう。
 売り上げが上がらず、店内の空気が読めず、誰を信頼すればよいのか分からず、苦しいときもあった。それでも、今こうやって店長あっての副店長があり、部門長があり、皆がいて、香月がいて……玉越や西野がいて……よい環境は完全に整いつつある。
 そろそろ、本社に戻るときがきているのかもしれない。
 宮下は最近よくそう感じるようになってきていた。
 本社からこっそり耳打ちされたわけではない。そんな噂を聞いたわけではない。
 ただ、自分の中で、このホームエレクトロニクス東都本店が良い状態として次に受け継げるだけの形になったのではないかと感じるのである。
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